■空手の認知度を上げたものの、勝てなかった東京五輪、そして今
――東京五輪で正式種目になる可能性があったので、現役続行に踏み切ったんですよね。
はい。自分も記者会見に出たり、テレビのドキュメンタリーに出たりと正式種目に採用されるためのプロモーション活動を率先してやりました。そこで必ず「優勝します」と言っていた(笑)。
正直、最初はそこまで自信はなかったんですけど、「空手界のために勝ちます」と言っていたら責任も生じるし、メディアで報道されることで自覚も強まります。「二流だった自分を一流に引き上げていくんだ」という気持ちにもなれた。マザー・テレサの言葉じゃないですけど、習慣が変われば運命も変わる。その通りに日本一、世界一と階段を駆け上がることができましたね。
――2016年に空手が東京五輪の正式種目に決まり、2020年夏を目指してまい進しました。
2019年世界選手権で2位、全日本選手権も2位と優勝できなかったんですけど、自分の中では持ち直せると思っていました。でも五輪が近づくにつれてパニックになってしまった。
私は優柔不断なところがあると言いましたけど、自分は人に与えられたものをこなすことが多かったので、次に自分がどう変化して強くなればいいのかが急に分からなくなり、勝ったり負けたりが続くようになってしまった。
他のトップ選手がやっているトレーニングを耳にして「そっちの方がいいんじゃないか」と迷うこともあったし、自分は突きが得意なはずなのに「蹴りができた方がいい」「投げを改善しないといけない」と足りないものばかりに目が行くようになったんです。
周りも気を使ってくれて、競技から1週間離れたりする時間も作りましたけど、最終的な方向性が見いだせなかった。コロナで五輪自体が1年延期になったこともあって、気持ちが切れた部分もありましたね。
写真:Getty Images
――東京五輪は1次リーグA組で2勝2敗の4位。準決勝に進めませんでした。
やっぱり試合をしたら、中段突きが活きて、自分の空手が通用するんですよね。それが分かったのに結果が出ず、ガックリして終わった五輪だった気がします。
――2021年夏以降はどうしようと?
半年間競技から離れていろいろ考えました。その時に思ったのは、空手を通して人を幸せにしたいということ。母校の日体大柏で練習させてもらったんですが、私が勝ったら監督や子供たちが喜んでくれる。自分が教える子供たちが勝ったら、彼らはハッピーになれるし、学校も喜ぶ。そういうことの大切さを改めて感じたんです。
LGBTQのイベントにも参加する機会があったんですが、自分が知らない世界が沢山あることも分かった。私は22年間空手界にいますけど、もっと社会を知って、スポーツを通して社会貢献したいなとも思いました。
だからこそ、私が競技者としての知名度を高め、空手の認知度を引き上げることも大事。そのためには勝たないといけない。今年1年はそれをやっていこうという強い気持ちになりましたね。
――東京五輪で正式種目になる可能性があったので、現役続行に踏み切ったんですよね。
はい。自分も記者会見に出たり、テレビのドキュメンタリーに出たりと正式種目に採用されるためのプロモーション活動を率先してやりました。そこで必ず「優勝します」と言っていた(笑)。
正直、最初はそこまで自信はなかったんですけど、「空手界のために勝ちます」と言っていたら責任も生じるし、メディアで報道されることで自覚も強まります。「二流だった自分を一流に引き上げていくんだ」という気持ちにもなれた。マザー・テレサの言葉じゃないですけど、習慣が変われば運命も変わる。その通りに日本一、世界一と階段を駆け上がることができましたね。
――2016年に空手が東京五輪の正式種目に決まり、2020年夏を目指してまい進しました。
2019年世界選手権で2位、全日本選手権も2位と優勝できなかったんですけど、自分の中では持ち直せると思っていました。でも五輪が近づくにつれてパニックになってしまった。
私は優柔不断なところがあると言いましたけど、自分は人に与えられたものをこなすことが多かったので、次に自分がどう変化して強くなればいいのかが急に分からなくなり、勝ったり負けたりが続くようになってしまった。
他のトップ選手がやっているトレーニングを耳にして「そっちの方がいいんじゃないか」と迷うこともあったし、自分は突きが得意なはずなのに「蹴りができた方がいい」「投げを改善しないといけない」と足りないものばかりに目が行くようになったんです。
周りも気を使ってくれて、競技から1週間離れたりする時間も作りましたけど、最終的な方向性が見いだせなかった。コロナで五輪自体が1年延期になったこともあって、気持ちが切れた部分もありましたね。
写真:Getty Images
――東京五輪は1次リーグA組で2勝2敗の4位。準決勝に進めませんでした。
やっぱり試合をしたら、中段突きが活きて、自分の空手が通用するんですよね。それが分かったのに結果が出ず、ガックリして終わった五輪だった気がします。
――2021年夏以降はどうしようと?
半年間競技から離れていろいろ考えました。その時に思ったのは、空手を通して人を幸せにしたいということ。母校の日体大柏で練習させてもらったんですが、私が勝ったら監督や子供たちが喜んでくれる。自分が教える子供たちが勝ったら、彼らはハッピーになれるし、学校も喜ぶ。そういうことの大切さを改めて感じたんです。
LGBTQのイベントにも参加する機会があったんですが、自分が知らない世界が沢山あることも分かった。私は22年間空手界にいますけど、もっと社会を知って、スポーツを通して社会貢献したいなとも思いました。
だからこそ、私が競技者としての知名度を高め、空手の認知度を引き上げることも大事。そのためには勝たないといけない。今年1年はそれをやっていこうという強い気持ちになりましたね。