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食と体調管理

「子どもたちが公園でラグビーをしてくれる日が来るなんて」田中史朗が感じる日本ラグビーの変化と成長。過酷な競技を続けるための食習慣

吉田治良

2023.08.01

写真:GettyImages

写真:GettyImages

■日本を熱狂させたW杯での快進撃

──そうした経験を積んだ15年のワールドカップですが、周りは「1勝できれば御の字」くらいの空気感でした。田中選手自身は、どんな心持ちで2回目のワールドカップに臨まれたんですか?

 もうやるしかないなと。開催国イングランドでの開幕前セレモニーで、出場国の紹介映像が流されたんですが、日本の映像はほんの10秒ほどで、しかもちょっと馬鹿にしたような内容だったんです。エディーもめちゃくちゃ怒っていました。僕もそれを見て、「なんとか大会でインパクトを残して、こいつらを黙らせてやろう」って思いましたね。

──初戦でいきなり大きなことをやってのけます。優勝候補の南アフリカを相手に史上最大のアップセットを演じた、あの歴史的な一戦を振り返ると?

 試合が始まって5分、10分くらいで勝てると思いましたね。そんなに強いとは感じませんでした。タックルでぶっ飛ばされていて偉そうなことは言えないんですが(笑)、スーパーラグビーの試合と変わらないなという体感がありました。そのくらいしんどい練習をやってきたことが大きかったと思います。

──さらにサモア、アメリカも倒して3勝を挙げながら、それでもベスト8には勝ち上がれませんでした。その理由はどこにあったと思いますか?

 やっぱり経験値じゃないでしょうか。3回勝ったら上に行けるっていう思い込み。普通なら3勝したらベスト8に行けるんですが、最後のところは得失点差などがネックになってしまった。プール戦の4試合はすべて勝たなくてはいけないんだと思い知らされました。

 ただ、それがあったからこそ、4年後の19年大会のベスト8につながったんだと思います。

──15年大会の南アフリカに勝った後、喜びのあまり次の試合への切り替えが十分ではなかったとお伺いしました。

 そうですね。中3日で次のスコットランド戦が控えていましたが、僕が後悔しているのは、「そろそろ次に切り替えよう」としっかりと導けなかったことです。それが出来ていたら、スコットランド戦はもっと僅差の試合になっていたかもしれないし、勝つこともできたかもしれない(10-45で敗戦)。

 それだけ大きなことをやってのけたわけですから、浮かれてしまう気持ちも分からないではないんですが、そこを抑えられなかったのは、リーダーのひとりだった自分の責任だと感じています。

 だからこそ19年大会では、主将のリーチ(マイケル)とも話して、切り替えをしっかりしようと決めて、それを徹底できたからプール戦の4試合をしっかり勝ち切れたんだと思います。


──15年大会はレギュラーとして全4試合にスタメン出場された田中選手ですが、19年大会では途中出場で流れを変えるインパクトプレーヤーとしての役割をすんなり受け入れられましたか?

 初めはちょっとしんどかったですね。ただ、僕もいろんなチームでプレーしてきたなかで、スターティングとかリザーブとかってもう関係ない、チームが勝てばいいと考えられるようになっていました。とにかく勝つために、自分に何ができるのかと、そこは切り替えて大会に臨むことができました。

──特に印象深いのが、当時世界ランク2位のアイルランドを撃破した第2戦です(19-12)。56分に流大選手に代わって田中選手がスクラムハーフに入ってから、パス回しのスピードが完全に変わりましたね。

 ベンチで試合を見ていて、前半で相手が疲れているのが分かったので、とりあえずテンポを上げようと意識してピッチに入りました。結局、自分が入った数分後に、福岡(堅樹)が逆転のトライを奪ってくれたので、あとはゲームをコントロールすることだけに集中しました。あれは僕のラグビー人生の中でも、すごく楽しい試合でしたね。

──静岡のエコパスタジアムの雰囲気は最高でした。

 やっぱり、日本開催というのがすごく大きかったと思います。僕らの中でも、日本のみなさんが見てくれているというのは意識していましたし、背中を押していただいてとても心強かったですね。

──同時にプレッシャーも大きかったのでは?

 それはまったくなかったですね。プレッシャーを感じたのは、初出場の11年大会だけ。15年大会も、その前にスーパーラグビーのプレーオフ決勝という大舞台を、試合には出られませんでしたが経験していたので、雰囲気に飲まれることもありませんでした。19年大会は本当に楽しさしかなかったですね。

──その後、サモア、そして4年前に苦杯を舐めたスコットランドにも勝利して、史上初のベスト8進出を決めましたが、歴史を塗り替えた瞬間は、どんな気持ちでしたか?

 なんというか、罪滅ぼしができたなっていうのはすごくありましたね。11年のワールドカップで1勝もできず、日本のラグビー人気を落としてしまった責任を、ずっと感じていましたから。

──そんな風に考えられていたとは、想像もつきませんでした。日本代表は優勝した南アフリカに準々決勝で敗れましたが、日本中がまさに大フィーバーに包まれました。大会後、田中選手もテレビなどメディアに引っ張りだこでしたね。

 もっとラグビーをみなさんに見ていただきたい、知っていただきたいっていう想いがすごくあったので、出演のオファーがあればできるだけ受けるようにしていました。

──当時の熱狂を肌で感じられて、いかがでしたか。

 いやもう、本当に嬉しかったですね。やっとラグビーが認知されたというか、あの大会を通して日本のみなさんにラグビーの楽しさ、ラグビーの価値を分かってもらえたと思います。チームも『ONE TEAM』としてひとつになって戦いましたが、日本中がまさにひとつになった大会でしたし……こういう話をしていると、また泣いてしまいそうです(笑)。

 日本代表の桜のジャージを着て、子どもたちが公園でラグビーをしてくれる日が来るなんて、一昔前では想像もつきませんでしたから。

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