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競馬

【名馬列伝】波乱を呼び起こす個性派メジロパーマー。紆余曲折の競走馬生活だからこそ生まれた魅惑の逃走劇<後編>

三好達彦

2024.07.16

 メジロパーマーとダイタクヘリオスは両頭ともブレーキをかけずに雁行状態となり、さらには気負ったトウカイテイオーとイクノディクタスが直後で尻を突っついたため、レースは勢いハイペースになる。

 第3コーナーの手前でややペースが落ち着いたかに思える瞬間もあったが、アナウンスされた1000mの通過ラップはなんと57秒5。この速さでは逃げ、先行勢はたまらない。メジロパーマーは第4コーナーで手応えがなくなって後退した。ダイタクヘリオスは直線の半ばまでしぶとく粘ったが、最後は最後方から外を回って追い込んできた11番人気のレッツゴーターキン、5番人気のムービースター、馬群を割って伸びてきた15番人気のヤマニングローバルが上位を占める大波乱となった。なお、メジロパーマーは17着に敗れ、ファンに苦笑いされるような始末。一方のダイタクヘリオスは8着に粘った。

 再びメジロパーマーの名声は地に堕ちた。だがしかし、逃げ馬とは本来、信じ難い強さと、呆れるほどの弱みを併せ持っているところにこそ魅力がある。そして、馬券の格言で古くから言われるように、「逃げ馬は忘れた頃にやってくる」のだ。
 
 1992年の有馬記念は豪華メンバーが揃った。トウカイテイオー、ライスシャワー、ナイスネイチャ、ヒシマサル、レガシーワールド、ホワイトストーン、レオダーバン、そして天皇賞(秋)の上位組。加えて、ダイタクヘリオスである。このメンバーのなかに入って、メジロパーマーが単勝15番人気(オッズ49.4倍)に甘んじたのも、やむを得ない。

 しかしこの日のメジロパーマー、また山田泰誠は気迫が違った。ゲートが開くと山田は手綱をしごいて敢然と先頭を奪い、その勢いに圧されたかのようにダイタクヘリオスは鞍上に抑えられて2番手に控える。人気馬はみな離れた中団から後方に位置したため、前半の1000m通過ラップが62秒台の後半と、前の2頭にとっては予想に反して、比較的ラクなペースで展開した。

 動きが出たのは2周目、向正面の半ば過ぎ。メジロパーマーと、それに並びかけたダイタクヘリオスが一気にピッチを上げて後続との差をぐんぐん広げていく。最大で3番手との差は15~16馬身まで開いただろうか。これに泡を食った後続も懸命に追いかけるが、なかなかその差を詰めることができないまま直線へ突入する。

 バテ始めたダイタクヘリオスを交わしてメジロパーマーが先頭に躍り出ると、独走態勢を築いたかと思われた。しかし、インコースから猛烈な勢いで突っ込んでくる黒い影が1頭。4歳ながらジャパンカップで4着に食い込んだレガシーワールドが、激しい気性を爆発力に変えて襲い掛かかり、2頭が馬体を併せたところがゴール。写真判定に委ねられた結果、ハナ差でメジロパーマーが勝利を掴んでいた。

 史上5頭目となる「春秋ファン投票レース制覇」という快挙を成し遂げたメジロパーマーは、この年のJRA賞で最優秀4歳以上牡馬と、最優秀父内国産馬の二冠に輝いた。最後に障害戦を飛んでから、ほぼ1年後のことだった。

 翌年以降も脚部不安と戦いながら現役を続けたメジロパーマーだったが、勝利を挙げたのは1993年の阪神大賞典(GⅡ)の逃げ切りのみ。天皇賞(春)も3着と健闘したが、それ以降は大敗が続いた。94年1月には日経新春杯(GⅡ)で60.5キロという重いハンデを背負いながら2着に逃げ粘って復調気配を見せたものの、レース後に左前肢屈腱炎を発症していることが判明。平地と障害を股にかけ、38戦ものレースをタフに走り抜く立派な競走生活だった。

 こんなにおもしろく強い馬は、ほかにいない。(文中敬称略)

文●三好達彦

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