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競馬

【名馬列伝】”ミスター競馬” 野平祐二に「スーちゃん」と呼ばれ、愛されたスピードシンボリ。現代競馬の礎を作った歴史的名馬の激闘譜

三好達彦

2024.07.22

 7歳になった1970年も現役続行となったスピードシンボリは、アメリカJCCをレコードタイムで制し、アルゼンチンJCCを2着として宝塚記念に臨む。7頭立てで手薄となったメンバー構成となったここでは能力の違いを見せつけ、2着に3馬身半差をつけてレコードで圧勝。当時は7歳ともなると高齢のイメージが強く、時として一部メディアは「老優」という、いささか失礼な表現を使うこともあったという。

 秋は始動戦の毎日王冠が2着、さらにはハリウッドターフクラブ賞を7着と連敗。「さすがのスピードシンボリも衰えたか」という声が聞こえるなか、5年連続での出走となる有馬記念へと向かった。

 スピードシンボリは、前年激闘を繰り広げたアカネテンリュウ、天皇賞(秋)を制したメジロアサマに続く3番人気に甘んじた。しかし、欧州の一流競走を転戦した不屈の優駿はまたも雄々しく立ち上がる。
 
 道中は後方を進んだスピードシンボリは、前年と同様に第3コーナーから進出を開始。最終コーナーを回るところで野平の左ムチに反応してインコースに進路をとると、アローエクスプレスを交わして一気に先頭に躍り出て後続を引き離す。そして、外を回って追い込んできたアカネテンリュウ(2着)、ダテテンリュウ(3着)をわずかに抑えてゴール。有馬記念で初となる連覇を遂げると同時に、GⅠ級競走(旧八大競走)で最高齢となる7歳での優勝を果たした。この記録は2009年に天皇賞(秋)を8歳のカンパニーが制するまで破られることはなかった。

 1967年に続いて二度目の年度代表馬に選出されたスピードシンボリは、その勲章を手に種牡馬入りする。残念ながら重賞を勝った産駒はピュアーシンボリの1頭だけと、成功したとは言い難い第二の馬生だったが、その血は母方に入って大きな実を結ぶ。和田共弘が英国から輸入したパーソロンを父に持ち、スピードシンボリ産駒の母スイートルナのもとに生まれたのがクラシック三冠を無敗で制し、GⅠレースを7勝したシンボリルドルフだったのである。それが調教師に転じていた野平祐二の厩舎に入って歴史的名馬の名を欲しいままにするのだから、やはり競馬はドラマチックだ。(文中敬称略)

文●三好達彦

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