この年、単勝オッズ2.3倍の1番人気に推されたのは、熱発で皐月賞を回避し、プリンシパルステークスを勝ってここに臨んできたダンスインザダーク。調教師の橋口弘次郎をして「ほぼ勝てると思っていた」という自信の臨戦であり、鞍上の武豊も日本ダービーという未踏の頂に向けて腕を撫していた。
対するフサイチコンコルドは27.6倍の7番人気。無敗とはいえ、キャリアはわずか2戦で、重賞への出走経験すらない彼にとって、この評価は至極妥当なものだった。
レースはサクラスピードオーの逃げで進み、ダンスインザダークは無理なく2番手に付け、フサイチコンコルドはそれを前に見ながら7番手で第1コーナーを回った。1000mの通過ラップは61秒4のスローペースでレースは進み、両者ともいい手応えで最終コーナーを回った。
そして迎えた直線。鞍上のゴーサインを受けたダンスインザダークが坂を上ったところで勇躍先頭に躍り出て、一目散にゴールを目指す。満場の観客が大本命の快走に声援を送ったその時、後ろから迫る馬影が迫ってくる。なんと、フサイチコンコルドだった。体温の上昇で出走取消まで考えた「関西の秘密兵器」は一完歩ごとにダンスインザダークとの差を詰め、わずかにクビ差交わしたところがゴールだった。
24歳にしてダービーを制した藤田伸二は右腕を突き上げて喜びを表した。対して、一時は勝利を確信したダンスインザダークの調教師・橋口弘次郎は信じ難い敗戦を目にして呆然と立ち尽くしたという。また、競馬場を埋め尽くした18万人を超える観客もフサイチコンコルドの逆転劇に驚き、馬群がゴールを過ぎ去ったあともしばらくの間、ただざわついていた。
キャリア3戦目での日本ダービー制覇は、国営競馬時代、1943年の牝馬クリフジ以来53年ぶりのことで、戦後初の快挙。オーナーの関口房朗はまた驚くべきことに、初の重賞勝利が日本ダービーという強運に恵まれた。翌朝のスポーツ紙や競馬週刊誌には「和製ラムタラ」の文字が躍っていた。
その後もフサイチコンコルドは体質の弱さがたびたび顔をのぞかせて、なかなか思うようにレースを使えなかった。秋にオープンのカシオペアステークス(京都・芝2000m)を2着、菊花賞(GⅠ、京都・芝3000m)をダンスインザダークの3着としたのち、骨膜炎、屈腱炎に相次いで罹患し、復帰の目途がたたないことから現役を引退。わずか5戦を経験しただけでターフを去った。
フサイチコンコルドは、いわゆる「名馬」と伍した評価をするのは難しい。しかし、やがて30年が経とうとする今でも、日本ダービーで巻き起こした衝撃の大きさには比肩するものがない。彼は奇跡の馬だった。
文●三好達彦
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そして迎えた直線。鞍上のゴーサインを受けたダンスインザダークが坂を上ったところで勇躍先頭に躍り出て、一目散にゴールを目指す。満場の観客が大本命の快走に声援を送ったその時、後ろから迫る馬影が迫ってくる。なんと、フサイチコンコルドだった。体温の上昇で出走取消まで考えた「関西の秘密兵器」は一完歩ごとにダンスインザダークとの差を詰め、わずかにクビ差交わしたところがゴールだった。
24歳にしてダービーを制した藤田伸二は右腕を突き上げて喜びを表した。対して、一時は勝利を確信したダンスインザダークの調教師・橋口弘次郎は信じ難い敗戦を目にして呆然と立ち尽くしたという。また、競馬場を埋め尽くした18万人を超える観客もフサイチコンコルドの逆転劇に驚き、馬群がゴールを過ぎ去ったあともしばらくの間、ただざわついていた。
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フサイチコンコルドは、いわゆる「名馬」と伍した評価をするのは難しい。しかし、やがて30年が経とうとする今でも、日本ダービーで巻き起こした衝撃の大きさには比肩するものがない。彼は奇跡の馬だった。
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