■引退から約8カ月。現在の“意外な”心境とは?
――北京オリンピック後のワールドカップファイナルを終えた後に正式に引退を表明しました。現在はどのような心境ですか。
実は今、色々と考えているんです。正直に言うと、もうやり切ったというわけでもないし、後悔がないというわけでもない。
実際、引退を表明しましたし、一線を退いて色々なことを経験しながら、私は何を一番したいのか、どんなことが向いてるのか、どういうことをやりたいのかを探している途中なのですが、その中で、もし、本当にスケートをやりたいと思うのだったら、やってもいいのではないかという考えもあります。
昨シーズンは、結果として残ったところもあれば、1番結果を残したかったオリンピックでは残せなかったという思いもあり、やっぱりモヤモヤする気持ちや未練もあるんです。それだけ、北京オリンピックは私にとって本当に大きなことでした。
――北京オリンピックでは個人種目の女子1500mで自己最高の8位入賞。女子チームパシュートでは銀メダルという素晴らしい結果でしたが、決勝の最終コーナーでの転倒は悔しかったと思います。それらを踏まえても、今のお話は少し意外でした。
引退を決めた時は、自分の心と向き合う時間が必要だと思ったし、違うことをやってみようという意欲が強かったので、その気持ちに従ったという感じでした。
それから半年余りがたた今は、自分と対話をして何が一番良いのかを考えながら生活し、やっぱりスケートをやりたいと思う時もあれば、もうあんな辛い練習はできないと思うこともありますね。
――最後にこれからの目標をお聞かせください
現役時代は1人で戦う時間が多く、限られた環境の中で生きていました。最近、小さい子供たちとのイベントに参加して感じたのは、人と触れ合うことの楽しさ。楽しそうな表情を見るのがとっても嬉しく思えたので、人と触れ合う仕事をしたいです。
取材協力:株式会社SIXINCH.ジャパン
写真:THE DIGEST
髙木 菜那(たかぎ なな)
1992年7月2日 156センチ 48キロ 北海道中川郡幕別町出身
札内北小学校入学後にKSCスケートクラブ入団。2005年4月に幕別町立札内中学校に進学し、2007年全国中学校大会女子1000m優勝。2008年全国中学校大会女子500m2位。2008年に北海道帯広南商業高校入学し、高校2年生だった2010年3月、世界ジュニアスピードスケート選手権で、妹の美帆、押切美沙紀とともに出場したチームパシュートで銀メダルを獲得。
高校卒業後の2011年4月に日本電産サンキョーに入り、2014年ソチオリンピックに初出場。女子1500mで32位、女子チームパシュート4位。2015年世界距離別選手権で日本のチームパシュート初となる金メダルに輝いた。2018年平昌オリンピックでは女子チームパシュートと女子マススタートで金メダルを獲得し、当時日本人女子では初となる1大会複数金メダルに輝いた。マススタートはオリンピック初代女王。2019年世界距離別選手権女子チームパシュートも金メダル。
2022年北京オリンピックでは女子1500m8位入賞。上位を狙える快調な滑りを見せていた中、同走の中国選手の走路妨害(失格)の影響を受けたのが悔やまれた。女子チームパシュート決勝では終盤までリードしていたが最終コーナーで転倒して銀メダル。女子マススタートも最終コーナーでバランスを崩して転倒し、涙。ラストレースとなった3月のオランダでのワールドカップファイナル女子1500mでは5位となった。
――北京オリンピック後のワールドカップファイナルを終えた後に正式に引退を表明しました。現在はどのような心境ですか。
実は今、色々と考えているんです。正直に言うと、もうやり切ったというわけでもないし、後悔がないというわけでもない。
実際、引退を表明しましたし、一線を退いて色々なことを経験しながら、私は何を一番したいのか、どんなことが向いてるのか、どういうことをやりたいのかを探している途中なのですが、その中で、もし、本当にスケートをやりたいと思うのだったら、やってもいいのではないかという考えもあります。
昨シーズンは、結果として残ったところもあれば、1番結果を残したかったオリンピックでは残せなかったという思いもあり、やっぱりモヤモヤする気持ちや未練もあるんです。それだけ、北京オリンピックは私にとって本当に大きなことでした。
――北京オリンピックでは個人種目の女子1500mで自己最高の8位入賞。女子チームパシュートでは銀メダルという素晴らしい結果でしたが、決勝の最終コーナーでの転倒は悔しかったと思います。それらを踏まえても、今のお話は少し意外でした。
引退を決めた時は、自分の心と向き合う時間が必要だと思ったし、違うことをやってみようという意欲が強かったので、その気持ちに従ったという感じでした。
それから半年余りがたた今は、自分と対話をして何が一番良いのかを考えながら生活し、やっぱりスケートをやりたいと思う時もあれば、もうあんな辛い練習はできないと思うこともありますね。
――最後にこれからの目標をお聞かせください
現役時代は1人で戦う時間が多く、限られた環境の中で生きていました。最近、小さい子供たちとのイベントに参加して感じたのは、人と触れ合うことの楽しさ。楽しそうな表情を見るのがとっても嬉しく思えたので、人と触れ合う仕事をしたいです。
取材協力:株式会社SIXINCH.ジャパン
写真:THE DIGEST
髙木 菜那(たかぎ なな)
1992年7月2日 156センチ 48キロ 北海道中川郡幕別町出身
札内北小学校入学後にKSCスケートクラブ入団。2005年4月に幕別町立札内中学校に進学し、2007年全国中学校大会女子1000m優勝。2008年全国中学校大会女子500m2位。2008年に北海道帯広南商業高校入学し、高校2年生だった2010年3月、世界ジュニアスピードスケート選手権で、妹の美帆、押切美沙紀とともに出場したチームパシュートで銀メダルを獲得。
高校卒業後の2011年4月に日本電産サンキョーに入り、2014年ソチオリンピックに初出場。女子1500mで32位、女子チームパシュート4位。2015年世界距離別選手権で日本のチームパシュート初となる金メダルに輝いた。2018年平昌オリンピックでは女子チームパシュートと女子マススタートで金メダルを獲得し、当時日本人女子では初となる1大会複数金メダルに輝いた。マススタートはオリンピック初代女王。2019年世界距離別選手権女子チームパシュートも金メダル。
2022年北京オリンピックでは女子1500m8位入賞。上位を狙える快調な滑りを見せていた中、同走の中国選手の走路妨害(失格)の影響を受けたのが悔やまれた。女子チームパシュート決勝では終盤までリードしていたが最終コーナーで転倒して銀メダル。女子マススタートも最終コーナーでバランスを崩して転倒し、涙。ラストレースとなった3月のオランダでのワールドカップファイナル女子1500mでは5位となった。