ドワイト・ハワードは2004年のドラフト1位指名選手であり、18年間のNBAキャリアで平均15.7点、11.8リバウンド、1.8ブロックを記録。208㎝・120㎏のビッグマンは、オーランド・マジック在籍時の09年から3年連続で最優秀守備選手賞に選ばれ、リバウンド王には5度(08~10、12、13)、ブロック王にも2度(09、10)輝き、オールスターには8回出場した。
NBAではマジックのほか、ロサンゼルス・レイカーズ、ヒューストン・ロケッツ、アトランタ・ホークスなど、計7球団でプレーしたハワード。レイカーズには2012-13シーズン、19-20シーズン、21-22シーズンと3度在籍経験があるが、本人は最初の加入時に1年でチームを去ったことを後悔していると、ギルバート・アリナスのポッドキャスト番組『Gil's Arena』で告白した。
ハワードは「まず、LAに行かなければならないことに、俺は腹を立てていた。俺がLAに行きたくなかったなんて誰も知らないだろうけどね」と当初はレイカーズ移籍に前向きではなかったと語り、次のように続けた。
「レイカーズに行きたくなかったのは、レイカーズに勝ちたかったからだ。彼らは(08年)ファイナルで俺たち(マジック)を破っていた。だから俺の中では、『なんで自分たちを倒したばかりのチームに行かなきゃいけないんだ』って感じだったんだ」
12年のオフ、26歳とキャリアの全盛期にあったハワードはマジックとの再契約を見送り、ブルックリン・ネッツへの加入を考えていた。ただ、移籍話は進展せず、最終的に4球団、計12人&5つのドラフト指名権が動く大型トレードで08年のファイナルで敗れた名門に移籍することになった。
新天地ではコビー・ブライアント、パウ・ガソル、スティーブ・ナッシュとのビッグ4を結成。本人も「この地で自身とチームの新たな歴史を作る」と意気込んでいたものの、チームはプレシーズンで全敗(8敗)すると、開幕後も1勝4敗と波に乗れず、指揮官のマイク・ブラウンを解任した。
出鼻を挫かれたスター軍団はマイク・ダントーニHC(ヘッドコーチ)の下で心機一転を図るも調子はなかなか上がらず、シーズン終盤にはエースのコビーが左足アキレス腱を断裂し戦線離脱。ハワード自身も腰の手術明けで本調子とは言い難く、第7シードで挑んだプレーオフでは、1回戦でサンアントニオ・スパーズにスウィープ負け(4連敗)を喫した。
ハワードは「ブルックリンに行ってキャリアをやり直したかった。でも、LAに送られ、『LAで勝てるように頑張ろう』って思ったけど上手くいかなかった。そして俺は感情的になって(レイカーズを)去る決断をした」という。
「自分の感情や、ファンがどうだったか、俺とコビーがいた当時の組織がどうだったかという気持ちだけで決断したことを後悔している。スマートな決断はできなかった。あの時はただ感情的に決断を下したんだ」
ハワードは13年にロケッツと4年8800万ドルの契約を締結し3シーズンプレーしたが、立ち位置はジェームズ・ハーデンに次ぐ2番手であり、個人スタッツは徐々にダウン。さらに16年以降は1年ごとに所属先が変わるジャーニーマンとなり、レイカーズもハワード退団後は6年連続でプレーオフ不出場と長い低迷期に入った。
2度目の在籍となった19-20シーズンにはレブロン・ジェームズとアンソニー・デイビスのサポート役として優勝に貢献したが、ハワードにとって13年のレイカーズ退団はキャリアのターニングポイントだったのかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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ハワードは「まず、LAに行かなければならないことに、俺は腹を立てていた。俺がLAに行きたくなかったなんて誰も知らないだろうけどね」と当初はレイカーズ移籍に前向きではなかったと語り、次のように続けた。
「レイカーズに行きたくなかったのは、レイカーズに勝ちたかったからだ。彼らは(08年)ファイナルで俺たち(マジック)を破っていた。だから俺の中では、『なんで自分たちを倒したばかりのチームに行かなきゃいけないんだ』って感じだったんだ」
12年のオフ、26歳とキャリアの全盛期にあったハワードはマジックとの再契約を見送り、ブルックリン・ネッツへの加入を考えていた。ただ、移籍話は進展せず、最終的に4球団、計12人&5つのドラフト指名権が動く大型トレードで08年のファイナルで敗れた名門に移籍することになった。
新天地ではコビー・ブライアント、パウ・ガソル、スティーブ・ナッシュとのビッグ4を結成。本人も「この地で自身とチームの新たな歴史を作る」と意気込んでいたものの、チームはプレシーズンで全敗(8敗)すると、開幕後も1勝4敗と波に乗れず、指揮官のマイク・ブラウンを解任した。
出鼻を挫かれたスター軍団はマイク・ダントーニHC(ヘッドコーチ)の下で心機一転を図るも調子はなかなか上がらず、シーズン終盤にはエースのコビーが左足アキレス腱を断裂し戦線離脱。ハワード自身も腰の手術明けで本調子とは言い難く、第7シードで挑んだプレーオフでは、1回戦でサンアントニオ・スパーズにスウィープ負け(4連敗)を喫した。
ハワードは「ブルックリンに行ってキャリアをやり直したかった。でも、LAに送られ、『LAで勝てるように頑張ろう』って思ったけど上手くいかなかった。そして俺は感情的になって(レイカーズを)去る決断をした」という。
「自分の感情や、ファンがどうだったか、俺とコビーがいた当時の組織がどうだったかという気持ちだけで決断したことを後悔している。スマートな決断はできなかった。あの時はただ感情的に決断を下したんだ」
ハワードは13年にロケッツと4年8800万ドルの契約を締結し3シーズンプレーしたが、立ち位置はジェームズ・ハーデンに次ぐ2番手であり、個人スタッツは徐々にダウン。さらに16年以降は1年ごとに所属先が変わるジャーニーマンとなり、レイカーズもハワード退団後は6年連続でプレーオフ不出場と長い低迷期に入った。
2度目の在籍となった19-20シーズンにはレブロン・ジェームズとアンソニー・デイビスのサポート役として優勝に貢献したが、ハワードにとって13年のレイカーズ退団はキャリアのターニングポイントだったのかもしれない。
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