“manchild”という言葉がある。“肉体的には大人だが、精神的には子どもな人間”、“成熟しきれない大人”といった意味で使われるスラングだ。
マンチャイルドの極端な例は、アーティストやミュージシャンなど一般常識の枠外で生きることを許される人たちに多く見受けられ、プロアスリートにもその傾向を持つ者は少なくない。
彼らは、子どもの頃から人並み外れた運動能力をもてはやされ、若くして巨万の富と名声を手にし、メディアや取り巻きにチヤホヤされ、その結果自分を律する術を知らないまま歳を重ねていく。良く言えば自由奔放、悪く言えば自制心やモラルの欠如した不完全な大人。
一昔前に比べたら、NBAからマンチャイルド的な選手の数はずいぶん減ったように思う。日本でNBAブームが起きた1990年代は、それこそ両手で数え切れないほどたくさんのマンチャイルドが存在した。その代表的な選手の1人がショーン・ケンプだ。
異次元のパワーとスピード、そして驚異の跳躍力を持ち、桁外れに豪快なジャングルダンクを武器に一世を風靡した “ザ・レインマン”。その人間離れしたパフォーマンスや、まるで獣のような佇まいは、個性的な選手が数多く存在した1990年代のNBAでも強烈な異彩を放ち、敵地でも喝采を浴びる数少ない選手の1人だった。潜在的な身体能力においては、あのマイケル・ジョーダンをも凌駕するだろう――ケンプ全盛の頃、そう語る識者もいたほどだ。
そんなスタープレーヤーが、2002-03シーズンをもって、33歳という脂が乗り切っているはずの年齢でNBAから姿を消した。実際はその6年前、27歳の時にシアトルを捨て去って以降、本来の姿を失ってしまったと言ってもいいだろう。体重の増加によるパフォーマンスの低下、そしてドラッグやアルコールの誘惑を断ち切れず、終いには身上を潰してしまったのだった。
欲望の赴くままに生きたマンチャイルドは、立ち止まることも引き返すこともせず、神から授かった類稀な肉体と才能を無残にも朽ち果てさせてしまった。超人的なプレーで人々を惹きつけてやまなかった男の、あまりにも寂しい末路――。
マンチャイルドの極端な例は、アーティストやミュージシャンなど一般常識の枠外で生きることを許される人たちに多く見受けられ、プロアスリートにもその傾向を持つ者は少なくない。
彼らは、子どもの頃から人並み外れた運動能力をもてはやされ、若くして巨万の富と名声を手にし、メディアや取り巻きにチヤホヤされ、その結果自分を律する術を知らないまま歳を重ねていく。良く言えば自由奔放、悪く言えば自制心やモラルの欠如した不完全な大人。
一昔前に比べたら、NBAからマンチャイルド的な選手の数はずいぶん減ったように思う。日本でNBAブームが起きた1990年代は、それこそ両手で数え切れないほどたくさんのマンチャイルドが存在した。その代表的な選手の1人がショーン・ケンプだ。
異次元のパワーとスピード、そして驚異の跳躍力を持ち、桁外れに豪快なジャングルダンクを武器に一世を風靡した “ザ・レインマン”。その人間離れしたパフォーマンスや、まるで獣のような佇まいは、個性的な選手が数多く存在した1990年代のNBAでも強烈な異彩を放ち、敵地でも喝采を浴びる数少ない選手の1人だった。潜在的な身体能力においては、あのマイケル・ジョーダンをも凌駕するだろう――ケンプ全盛の頃、そう語る識者もいたほどだ。
そんなスタープレーヤーが、2002-03シーズンをもって、33歳という脂が乗り切っているはずの年齢でNBAから姿を消した。実際はその6年前、27歳の時にシアトルを捨て去って以降、本来の姿を失ってしまったと言ってもいいだろう。体重の増加によるパフォーマンスの低下、そしてドラッグやアルコールの誘惑を断ち切れず、終いには身上を潰してしまったのだった。
欲望の赴くままに生きたマンチャイルドは、立ち止まることも引き返すこともせず、神から授かった類稀な肉体と才能を無残にも朽ち果てさせてしまった。超人的なプレーで人々を惹きつけてやまなかった男の、あまりにも寂しい末路――。