バスケ界のレジェンドであるダーク・ノビツキーは、NBA21年間をダラス・マーベリックス一筋で過ごし、フランチャイズのみならず、リーグの歴史に名を残す偉大なキャリアを送った。しかし、マブズでキャリアをスタートさせていなかった可能性があったことを、元ヘッドコーチ(HC)兼ゼネラルマネージャー(GM)のドン・ネルソンが明かしている。
御年85歳のネルソンは、現地6月8日(日本時間9日)に全米バスケットボールコーチ協会から2025年のチャック・デイリー生涯功労者賞を贈られた。1997~2005年にマブズのHC兼GMを務め、同球団での8シーズンで通算339勝251敗(勝率57.5%)を記録。98年には、まだ知名度の低かったドイツ出身のノビツキー獲得に動いたことで知られる。
しかし、同年のNBAドラフトで全体6位指名権を持っていたマブズは、ノビツキーを直接指名して迎え入れたわけではない。ミルウォーキー・バックスが欲しがっていたロバート・トレイラーを6位で指名し、当日のドレードでバックスが指名したノビツキー(同9位)とパット・ギャリティ(同19位)を獲得した。
同年のドラフトは1位がマイケル・オロウォカンディ(ロサンゼルス・クリッパーズ)、2位がマイク・ビビー(バンクーバー・グリズリーズ)、3位がリーフ・ラフレンツ(デンバー・ナゲッツ)、4位がアントワン・ジェイミソン(トロント・ラプターズ)、5位がヴィンス・カーター(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)。ほかにも、7位がジェイソン・ウィリアムズ(サクラメント・キングス)、8位がラリー・ヒューズ(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)、10位がポール・ピアース(ボストン・セルティックス)と粒揃いだった。
そのなかで、ネルソンの実のところの“イチ推し”は、ピアースだったことを生涯功労者賞の記者会見で明かした。
「ダークは私が今まで見た中で最も才能のあるビッグマンだった。身長は7フィート(213cm)あって、スモールフォワードのようにプレーしていた。彼に賭けたんだ。
(ただ)あのドラフトでは、ポール・ピアースがお気に入りの選手だった。ピアースはトップ3で指名されるはずだったから、そこまで残っているとは考えもしなかった。9位指名の段階で、ピアースとノビツキーが残っていた。私は息子のドニー(当時アシスタントGM)を見て、『ポール・ピアースは私の好きな選手だ。彼はスターになる』と言ったんだ」
ピアースに気持ちが傾きかけていたが、息子ドニー・ネルソンからの言葉で、当初の予定通りノビツキーを獲得する決断をしたという。
「ドニーが『父さん、僕たちがこの1か月間何をしてきたかわかっているだろ』と言ったんだ。私は『その通りだ。我々は約束したのだから、それを守ろう』と。そして、私たちはダークを獲得した。ダークを選んだんだ。ダラスではしばらく大変だった。みんな私をマッドサイエンティストだと思っていた。それは、もしかしたら正しかったのかもしれない。だがとにかく、彼と一緒に仕事をすることにしたんだ」
マブズに加入したノビツキーは、21年間チーム一筋を貫き、通算1522試合(歴代5位)に出場して3万1560得点(同6位)をマーク。2007年にはシーズンMVP、11年にはリーグ優勝&ファイナルMVPを達成し、NBA75周年記念チーム選出とバスケットボール殿堂入りも果たしている。ネルソン親子が“初志貫徹”した結果の栄光とも言えるかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
御年85歳のネルソンは、現地6月8日(日本時間9日)に全米バスケットボールコーチ協会から2025年のチャック・デイリー生涯功労者賞を贈られた。1997~2005年にマブズのHC兼GMを務め、同球団での8シーズンで通算339勝251敗(勝率57.5%)を記録。98年には、まだ知名度の低かったドイツ出身のノビツキー獲得に動いたことで知られる。
しかし、同年のNBAドラフトで全体6位指名権を持っていたマブズは、ノビツキーを直接指名して迎え入れたわけではない。ミルウォーキー・バックスが欲しがっていたロバート・トレイラーを6位で指名し、当日のドレードでバックスが指名したノビツキー(同9位)とパット・ギャリティ(同19位)を獲得した。
同年のドラフトは1位がマイケル・オロウォカンディ(ロサンゼルス・クリッパーズ)、2位がマイク・ビビー(バンクーバー・グリズリーズ)、3位がリーフ・ラフレンツ(デンバー・ナゲッツ)、4位がアントワン・ジェイミソン(トロント・ラプターズ)、5位がヴィンス・カーター(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)。ほかにも、7位がジェイソン・ウィリアムズ(サクラメント・キングス)、8位がラリー・ヒューズ(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)、10位がポール・ピアース(ボストン・セルティックス)と粒揃いだった。
そのなかで、ネルソンの実のところの“イチ推し”は、ピアースだったことを生涯功労者賞の記者会見で明かした。
「ダークは私が今まで見た中で最も才能のあるビッグマンだった。身長は7フィート(213cm)あって、スモールフォワードのようにプレーしていた。彼に賭けたんだ。
(ただ)あのドラフトでは、ポール・ピアースがお気に入りの選手だった。ピアースはトップ3で指名されるはずだったから、そこまで残っているとは考えもしなかった。9位指名の段階で、ピアースとノビツキーが残っていた。私は息子のドニー(当時アシスタントGM)を見て、『ポール・ピアースは私の好きな選手だ。彼はスターになる』と言ったんだ」
ピアースに気持ちが傾きかけていたが、息子ドニー・ネルソンからの言葉で、当初の予定通りノビツキーを獲得する決断をしたという。
「ドニーが『父さん、僕たちがこの1か月間何をしてきたかわかっているだろ』と言ったんだ。私は『その通りだ。我々は約束したのだから、それを守ろう』と。そして、私たちはダークを獲得した。ダークを選んだんだ。ダラスではしばらく大変だった。みんな私をマッドサイエンティストだと思っていた。それは、もしかしたら正しかったのかもしれない。だがとにかく、彼と一緒に仕事をすることにしたんだ」
マブズに加入したノビツキーは、21年間チーム一筋を貫き、通算1522試合(歴代5位)に出場して3万1560得点(同6位)をマーク。2007年にはシーズンMVP、11年にはリーグ優勝&ファイナルMVPを達成し、NBA75周年記念チーム選出とバスケットボール殿堂入りも果たしている。ネルソン親子が“初志貫徹”した結果の栄光とも言えるかもしれない。
構成●ダンクシュート編集部
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