現地8月14日、米誌『Athlon Sports』はニューヨーク・ヤンキースのアーロン・ジャッジと一緒にMLBデビューを飾った当時の有望株の活躍を回顧した記事をアップ。メジャーを代表する怪物と一緒に将来を期待されたその選手は、横浜DeNAのタイラー・オースティンだった。
記事は「アーロン・ジャッジのデビュー戦の相棒はまったく異なる道を歩んだ」と銘打たれ、ジャッジとオースティンがヤンキースの歴史に刻み込んだ鮮烈なデビュー戦を振り返っている。
2016年8月14日に行なわれたヤンキース対タンパベイ・レイズ戦。オースティンは「7番・一塁」、ジャッジは「8番・右翼」でそれぞれメジャー初先発を飾った。2回の第1打席でオースティンが先制ソロ本塁打を放つと、次打者ジャッジも中堅バックスクリーンに豪快な一発。ルーキーが2者連続ホームランというド派手なデビュー弾を叩き込み、球場は騒然となった。
同メディアは「ちょうど9年前となるこの日、ヤンキースファンは未来の片鱗を垣間見た。いや、少なくともそう思ったはずだ。それは、次の時代を作るスターを探している球団にとって、若さとパワーの衝撃だった」と当時の驚きをそう伝えた。
華々しいデビューを飾ったジャッジはその後、メジャー2年目ながらルーキーシーズンとなった翌17年に大ブレイク。 メジャーの新人記録を塗り替える52本塁打でホームラン王を獲得したほか、打率.284、リーグ2位の114打点をマークし、シーズン後に満票で新人王を獲得した。
ジャッジの活躍の勢いはさらに増し、22年にはア・リーグのシーズン最多62本塁打を記録。22年には大谷翔平(当時ロサンゼルス・エンジェルス)との激しいMVP争いを制して初受賞。24年には2度目のMVPを獲得し、ミッキー・マントル、ルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースらと肩を並べ、ヤンキースの歴史に名を刻んだ。
一方、オースティンはヤンキース、ミネソタ・ツインズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ミルウォーキー・ブルワーズで4シーズンを過ごした後、メジャーリーグでのキャリアを終え、20年にNPBの横浜DeNAに入団。24年には首位打者を獲得し、チームの26年ぶり3度目の日本一に貢献した。
DeNAで主に4番を務めるオースティンの活躍について『Athlon Sports』は、「NPB投手陣への適応力、安定したパワーを兼ね備えた彼は日本球界で最も尊敬される外国人打者のひとりとなった。この移籍は彼のキャリアを活性化させ、ジャッジですら成し遂げていない偉業(日本シリーズ制覇)を成し遂げた」と触れ、日本での活躍を称賛した。
オースティンは今シーズン開幕直後に下半身のコンディション不良で登録を外れ、6月には右膝の違和感で今季2度目の離脱をするなど、ここまで37試合の出場にとどまり打率.244、5本塁打、15打点、OPS.756と物足りない数字だが、11日のヤクルト戦では2打席連続ホームラン。持ち前のパワフルな打撃に復調がみられている。これに対して同誌は「ヤンキー・スタジアムからは遠く離れた地で、多くの選手が手にすることのできない確固たる第2の人生を築いた」と評している。
最後に、「メジャーデビュー戦の連続本塁打で歴史を刻んだ2人の新人は、その後まったく異なる道を歩んだ。9年のときを経て、オースティンの歩みは野球で輝く道はひとつではないことを証明した。ブロンクス(ヤンキースの愛称)で輝くスターもいれば、横浜で光を見つけたスターもいる」と締めくくり、日米で活躍するヤンキース戦士を称えた。
構成●THE DIGEST編集部
【動画】ジャッジとオースティンがメジャー初打席で放った“プロ1号本塁打”!
記事は「アーロン・ジャッジのデビュー戦の相棒はまったく異なる道を歩んだ」と銘打たれ、ジャッジとオースティンがヤンキースの歴史に刻み込んだ鮮烈なデビュー戦を振り返っている。
2016年8月14日に行なわれたヤンキース対タンパベイ・レイズ戦。オースティンは「7番・一塁」、ジャッジは「8番・右翼」でそれぞれメジャー初先発を飾った。2回の第1打席でオースティンが先制ソロ本塁打を放つと、次打者ジャッジも中堅バックスクリーンに豪快な一発。ルーキーが2者連続ホームランというド派手なデビュー弾を叩き込み、球場は騒然となった。
同メディアは「ちょうど9年前となるこの日、ヤンキースファンは未来の片鱗を垣間見た。いや、少なくともそう思ったはずだ。それは、次の時代を作るスターを探している球団にとって、若さとパワーの衝撃だった」と当時の驚きをそう伝えた。
華々しいデビューを飾ったジャッジはその後、メジャー2年目ながらルーキーシーズンとなった翌17年に大ブレイク。 メジャーの新人記録を塗り替える52本塁打でホームラン王を獲得したほか、打率.284、リーグ2位の114打点をマークし、シーズン後に満票で新人王を獲得した。
ジャッジの活躍の勢いはさらに増し、22年にはア・リーグのシーズン最多62本塁打を記録。22年には大谷翔平(当時ロサンゼルス・エンジェルス)との激しいMVP争いを制して初受賞。24年には2度目のMVPを獲得し、ミッキー・マントル、ルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースらと肩を並べ、ヤンキースの歴史に名を刻んだ。
一方、オースティンはヤンキース、ミネソタ・ツインズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ミルウォーキー・ブルワーズで4シーズンを過ごした後、メジャーリーグでのキャリアを終え、20年にNPBの横浜DeNAに入団。24年には首位打者を獲得し、チームの26年ぶり3度目の日本一に貢献した。
DeNAで主に4番を務めるオースティンの活躍について『Athlon Sports』は、「NPB投手陣への適応力、安定したパワーを兼ね備えた彼は日本球界で最も尊敬される外国人打者のひとりとなった。この移籍は彼のキャリアを活性化させ、ジャッジですら成し遂げていない偉業(日本シリーズ制覇)を成し遂げた」と触れ、日本での活躍を称賛した。
オースティンは今シーズン開幕直後に下半身のコンディション不良で登録を外れ、6月には右膝の違和感で今季2度目の離脱をするなど、ここまで37試合の出場にとどまり打率.244、5本塁打、15打点、OPS.756と物足りない数字だが、11日のヤクルト戦では2打席連続ホームラン。持ち前のパワフルな打撃に復調がみられている。これに対して同誌は「ヤンキー・スタジアムからは遠く離れた地で、多くの選手が手にすることのできない確固たる第2の人生を築いた」と評している。
最後に、「メジャーデビュー戦の連続本塁打で歴史を刻んだ2人の新人は、その後まったく異なる道を歩んだ。9年のときを経て、オースティンの歩みは野球で輝く道はひとつではないことを証明した。ブロンクス(ヤンキースの愛称)で輝くスターもいれば、横浜で光を見つけたスターもいる」と締めくくり、日米で活躍するヤンキース戦士を称えた。
構成●THE DIGEST編集部
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