専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
MLB

″世界に轟いた一撃″――トムソンの歴史的一打はサイン盗みの産物だった?【ダークサイドMLB】

出野哲也

2020.04.02

“世界に轟いた一撃”を放ったトムソンは、クラブハウスでオーナーのストーンハム(左)、ドローチャー監督(右)と喜びを分かち合った。(C)Getty Images

“世界に轟いた一撃”を放ったトムソンは、クラブハウスでオーナーのストーンハム(左)、ドローチャー監督(右)と喜びを分かち合った。(C)Getty Images

 光が当たる場所には必ず影がある。MLBでも、これまで数多くのスキャンダルや事件が世間を騒がせてきた。本欄で紹介される人物のほとんどは、子供のお手本になるような存在ではない。しかし、彼らもまたMLBの歴史の一部であることは、誰にも否定できないのだ。

 昨年11月、スポーツウェブサイト『ジ・アスレティック』がヒューストン・アストロズのサイン盗みをスクープし、球界全体を巻き込む一大スキャンダルに発展した。だがこれ以前から、MLBではサイン盗みがしばしば行われてきた。

 1951年に3回戦制で行われたナ・リーグ優勝決定シリーズにおいて、ニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)のボビー・トムソンが放ったサヨナラ本塁打は、史上有数の大逆転優勝を決めた名シーンとして今も記憶されている。だが、半世紀後、その年のジャイアンツが組織ぐるみでサイン盗みを働いていたことが発覚したのである。
 
 51年のジャイアンツは、開幕から14試合で12敗とつまずいた。期待の大型新人ウィリー・メイズも、自らマイナー落ちを申し出るほどの不振に苦しんだ。5月以降は調子を取り戻して勝ち始めたが、ライバルのブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)はそれ以上のペースで勝ち進んで首位を快走。8月11日の段階でゲーム差は13にまで拡大し、優勝の可能性はほとんどないように思われた。

 しかし、ジャイアンツは翌12日から怒涛の16連勝を演じて、ゲーム差は一気に5まで縮まる。9月14日からの12試合でも11勝して、とうとうドジャースと同率首位でレギュラーシーズンを終えた。10月1日の優勝決定シリーズ初戦は、トムソンがドジャースの先発ラルフ・ブランカから逆転2ランを放って勝利。だが翌日はドジャースが10対0と大勝した。

 雌雄を決する3日の試合は、初回にジャッキー・ロビンソンのタイムリーでドジャースが先制。6回までドン・ニューカムに2安打と抑えられていたジャイアンツは、7回にトムソンの犠牲フライで追いついた。だがその直後の8回表、好投していたサル・マグリーが力尽き3点を失う。1対4の劣勢で迎えた9回裏、ジャイアンツは1死一、三塁のチャンスでホワイティ・ロックマンがタイムリー二塁打。1点を返し、なお二、三塁でトムソンが打席に入った。

 ニューカムは限界と判断したドジャースのチャーリー・ドレッセン監督は、ブルペンに連絡を取る。投球練習をしていたのはカール・アースキンとブランカ。アースキンのコントロールが定まっていないとの報告を受け、ドレッセンは初戦でトムソンに決勝弾を打たれていたにもかかわらず、ブランカをマウンドへ送った。初球を見送ったトムソンは、2球目の速球を強振。打球は低いライナーとなってレフトスタンドへ飛び込んだ。
 

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号