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MLB

″世界に轟いた一撃″――トムソンの歴史的一打はサイン盗みの産物だった?【ダークサイドMLB】

出野哲也

2020.04.02

「ジャイアンツがペナントを勝ち取りました!」実況アナウンサーのラス・ホッジズは繰り返し叫んだ。このラジオ音声がもとで、トムソンの一打は〝世界に轟いた一撃(Shot Heard 'round The World)〞、あるいは舞台となった本拠地球場ポロ・グラウンズの所在地から〝クーガンズ・ブラフの奇跡〞などと呼ばれ、後世に語り継がれるようになった。

 一塁が空いていた状況を考えれば、トムソンを歩かせて次のメイズで勝負する手はあったかもしれない。メイズはブランカに対して19打数2安打と相性が良くなかったからだ。だが、逆転の走者をむざむざ出してしまうのも好手とは言い難かった。ドレッセンは「オフシーズンの間、あの場面を何度も振り返ったが、下した決断は正しかったと思っている」と語っている。

 トムソンの一発は、99年に『スポーティング・ニューズ』誌が選定した「野球史上最も偉大な25の瞬間」では第1位。『スポーツ・イラストレイテッド』誌による「スポーツ史上における100の偉大な瞬間」でも全種目を通じて15位にランクされている。それだけに、2001年になって『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙が「51年のジャイアンツの逆転優勝はサイン盗みの産物だった」とすっぱ抜いた時の衝撃は大きかった。
 
 ジャイアンツのレオ・ドローチャー監督がサイン盗みに踏み切ったのは、控え内野手のハンク・シェンツから「カブスにいた頃、リグリー・フィールドのスコアボードに隠れてサインを盗み見ていた」と聞いたのがきっかけだったという。ドローチャーは人並み外れて闘争心旺盛な人物で、「お人好しでは野球に勝てない」の名文句を吐いたことでも知られており、サイン盗みに手を染めることなどまったく躊躇はなかっただろう。

 具体的な手口は以下のようなものだった。当時ポロ・グラウンズのセンター後方にあった監督室から、コーチのハーマン・フランクス(最初は〝経験者〞のシェンツが担当した)が双眼鏡で相手捕手のサインを覗き、それを右翼後方にあったジャイアンツのブルペンへブザーを鳴らして教える。ブザーが1回なら速球、2回だとカーブ。それを捕手のサル・イーバースが打者へ伝える。右手にボールを握っていれば速球、空中に投げ上げていれば変化球の合図だった。

 最初に実行したのは7月20日のレッズ戦。それまでの対戦で、18イニングで4点しか取れていなかった難敵ユール・ブラックウェルに対し、初回に3点を奪ったことでその効果を確信した。この日以降、ポロ・グラウンズでの28試合でジャイアンツは23勝5敗。勝率8割を超えるペースで勝ち続けた。

 伝達役のイーバースは「あのホームランを打った時も、トムソンに球種を知らせていた」と言っていた。これに対しトムソンは「私は自分のスウィングを誇りに思っている。誰の助けも借りずに打ったものだからだ」と言い張り、その主張を死ぬまで崩さなかった。ただ一方では「この一件が明るみに出て、長い間感じていたプレッシャーが取り払われた」とも語っていて、後ろめたい思いがあったのを認めている。
 

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