MLB

あと2年あればメジャーに昇格できた? あれから27年、“バスケの神様”マイケル・ジョーダンのMLB挑戦を振り返る【後編】

出野哲也

2020.04.22

2Aでの成績は127試合で打率.202、3本塁打、30盗塁。もう数年続けていればメジャー昇格もあり得たと語る関係者もいる。(C)Getty Images

 突然の野球挑戦で全米のファンを驚かせたジョーダン。しかし、案の定というべきか、スプリング・トレーニングでは結果を残せず、マイナーの2Aでも苦戦が続いた。それでも、ジョーダンは真摯に野球に打ち込んだ。

 マイナーでも、ジョーダンとチームメイトとの関係は良好だった。成績はともかくとして、遊び半分ではなく一所懸命であるのは伝わってきたし、年収3400万ドルの大金持ちでありながら、月給850ドルの若者たちを見下す態度は取らず、彼らと卓球を楽しみ、ときにはバスケットボールにも興じた。「若い選手たちに報道陣への対処法を教えていると、彼らの兄になったような気分だった。でも野球を教えてもらっていると、弟になったような感じがした」。

 ブルズのチームメイトだったBJ・アームストロングは、当時のジョーダンと電話で会話しているといつも「エゴのぶつかりあいもなく、あるのは夢と希望ばかり」の世界で、「ひたむきに夢を追いかけている若者と一緒にいることの楽しさ」を楽しんでいた――と振り返っている。
 
 いかにも彼らしい闘争心を見せた試合もあった。「11-0で勝っていた試合の終盤に彼が二塁打を打って、その後に三塁へ盗塁したんだ。『そんなことをしたら報復されるぞ』と忠告したら『NBAでは20点リードしていても30点へ広げようとする』と言い返されたよ」(フランコーナ)。乱闘が発生すれば真っ先にベンチを飛び出し、当時マリナーズの2Aジャクソンビルに在籍していたマック鈴木に食ってかかったこともあった。

 こうした毎日を過ごすうちに、野球の技能も少しずつ磨かれていった。カーブについていけるようになり、打球の飛距離も伸び始めた。7月30日には354打席目にして初本塁打を放ち、ベースを回りながら空を指さした。天国の父に向けてのメッセージだった。「今でもここにいてほしいと思って胸が詰まるけれど、(ホームランは)見てくれていたはずだ」。そのシーンは地元の放送局も報道陣も撮影しておらず、一般の観客から借りたビデオが全国のスポーツニュースで放映された。