大学野球

“地方大学“で台頭した名手たち――球界を牽引する6選手の知られざる足跡を振り返る

大友良行

2020.05.03

地方大学で活躍した選手たち。左から柳田、大瀬良、則本、菊池、秋山、山川。写真:大友良行

 大学野球界も"地方再生"の時代だ。

 大学野球と言えば「東京六大学」「東都大学」が実力、人気ともに2トップの座を長らく守り続けてきた。しかし、少子化が進み、「大学全入時代」に突入した2010年頃から、進学率も頭打ちになり、私大の定員割れが続出した。大学側も学生確保のための対応策に奔走。首都圏の大学でさえも、国際系の新学部新設、郊外移転の都心回帰、タワービル校舎など、あらゆる対策を講じてきた。

 一方で、地方大学は経営難を打破し、学生募集の一つとして各種スポーツ競技に力を入れた。なかでも、他大学より一足先に野球に"特化"して中央球界へ向け、知名度アップを狙ったのが東北福祉大(仙台六大学リーグ)だ。

 1962年に野球部創設。1979年に明治神宮大会、1983年に全日本大学野球選手権に初出場。以後、神宮大会と大学選手権の常連校となり、1991、2004、2018年に3回の全日本学生選手権大会で優勝を果たした。

 同時に実力のある選手たちが鍛え上げられ、次々と巣立って行った。佐々木主浩(大洋→DeNA→マリナーズ)、金本知憲(広島→阪神)、斎籐隆(大洋→DeNA→ドジャーズなど→楽天)、和田一浩(西武→中日)らがそうだ。1991年ドラフト会議では、同時に5選手が指名されたほど、自他共に認める好素材の宝庫となり、大学の知名度も今や全国区にまで成長した。

「福祉に続け」と他の地方大学も黙ってはいない。球場や寮などの施設を整備して選手を募集、練習に本格的に取り組んだ。

 やがて成果は目に見えるように現れ出した。全入時代に入ると、福祉大以外の地方大学からのプロ野球選手が続々誕生。"超一流選手"への階段を競って駆け上がって行った。今やプロ野球界の屋台骨をささえている存在だ。

 そんな彼らの学生時代の地方での活躍ぶりは、中央球界まで、なかなか届かなかった。

 新型コロナウイルスで『ステイホーム週間』の今、地方大学で結果を残し、プロの世界で夢を掴んだ選手たちの足跡を辿ってみた。
 
●秋山翔吾(シンシナティ・レッズ/外野手)
1988年生まれ。右投左打。神奈川県出身。
横浜創学館高-八戸大(北東北大学リーグ)-西武。

 小学1年から野球を始め、足が速かったので中学では陸上部を兼部。高校1年からレギュラー。3年夏は県ベスト8。プロ志望届を出すも指名漏れで八戸大へ進んだ。同大の同期に塩見貴洋投手(楽天)がいる。

 秋山は入学するやいなや、その才能を発揮し、1年春からレギュラーを掴む。通算79試合で93安打、二塁打12、三塁打2、本塁打7、打点49、打率.331。盗塁37で出塁率.429。1、4年時に大学選手権と1年秋に神宮大会の大舞台を経験した。

 1年の時に春、秋連続でリーグベスト9に輝いたが、4年春にはさらに打点14、打率.486と打ちまくり、優秀選手賞、首位打者、最多打点、ベスト9の四冠を獲得している。大学日本代表候補合宿に4回も招集されているが、なぜか最終選考では外された。2010年ドラフトで西武から3位指名を受け、今年から海外FA権を行使してレッズ入り。活躍が期待されている。