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MLB

ニューヨーク最大級のスターだった“ダークナイト”マット・ハービーの栄光と凋落

杉浦大介

2020.07.30

13年、メジャー2年目でオールスター先発投手を務めたハービーだったが、全盛期は長く続かなかった。(C)Getty Images

13年、メジャー2年目でオールスター先発投手を務めたハービーだったが、全盛期は長く続かなかった。(C)Getty Images

 7月29日、マット・ハービーがロイヤルズとマイナー契約を交わした。昨季、エンジェルスで3勝、防御率7.09の成績で途中解雇されたハービーには一時、日本や韓国球界入りの噂も伝えられていたが、再度メジャー復帰を目指すことになった。

 ただ、噂レベルとはいえ日本や韓国行きの報道が出ること自体、隔世の感がある。つい4、5年前まで、ハービーはニューヨークのスポーツ界でトップクラスのスターだったからだ。

「一つの時代の終わりだ。チームの要として活躍してくれた選手に対し、非常に残念で難しい決断だった」

 2018年5月5日、ハービーを40人ロースターから外し、事実上の戦力外通告を行ったメッツのサンディ・アルダーソンGMが苦渋の表情でそう述べたのを、今も鮮明に覚えている。

 メッツでは通算34勝、2ケタ勝利を挙げたシーズンも1回だけの投手に“一時代”という言葉を使うのは大袈裟に思えるかもしれない。だが、12年のメジャーデビューからの数年間でハービーが残したインパクトはそれほどまでに強烈だった。
 
 10年のドラフト全体7位でメッツ入りしたハービーは、13年の開幕からメジャーに定着。この年の快進撃は爆発的だった。4月は4勝0敗、40.2イニングで46奪三振、5月のホワイトソックス戦では7回2死までパーフェクトに抑えるなどその後も支配的な投球を継続し、ついには地元シティ・フィールドで行われたオールスター・ゲームの先発投手に抜擢されるまでになった。

 ほぼ同時期に『スポーツ・イラストレイテッド』誌のトム・バードゥッチ記者から“ダークナイト”というニックネームを授与されたハービーは、瞬く間に球界を代表する本格派右腕として台頭した。

 この頃、ニューヨークではハービーのすべての先発日がビッグイベントだった。4シーム、スライダーを中心とする豪快なピッチングにファンは酔った。「Matt Harvey goes today(今日はハービーの登板日だ)」というワンセンテンス以上にメッツファンをエキサイトさせる言葉は存在しなかったと言っても過言ではない。

 14年はトミー・ジョン手術を受けて全休したハービーだったが、15年は13勝、防御率2.71と見事に復活を遂げ、チームの15年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。
 

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