プロ野球

【プロ野球トレード収支の大検証:第2回】“ミスター・タイガース”田淵と引き換えに、西武から“史上最強の1番”真弓を得た阪神のマル得トレード

出野哲也

2021.01.01

西武移籍後にもオールスターに2度出場と、人気面では西武を牽引した田淵だが、成績面では……。写真:産経新聞社

▼1979年
真弓明信、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史(西武)⇔田淵幸一、古沢憲司(阪神)
阪神 +260.9/西武 -257.3


真弓明信    阪神    打率.287、277本塁打、824打点    248.0
若菜嘉晴    阪神    打率.269、19本塁打、127打点    4.4
竹之内雅史 阪神    打率.253、37本塁打、117打点    8.8
竹田和史    阪神    0勝1敗0S、防御率15.19    -6.6
田淵幸一    西武    打率.253、154本塁打、400打点    0.3
古沢憲司    西武    13勝28敗18S、防御率4.19    -1.4

 1969年にドラフト1位で入団して以来、田淵は阪神の主砲として活躍を続けてきた。その打力は捕手としては史上有数であり、45本塁打、102四球だった74年はPV92.8。これは、同年に三冠王となった王貞治(巨人)をも上回る数字だった。さらに翌75年には、43本塁打でタイトルを獲得し、打率も生涯唯一の3割(.303)に乗せてPV96.3という驚異的な数字を叩き出した。
 
 トレード前年の78年も38本塁打と、打力は依然として球界トップクラスだった。しかし、捕手としては79試合の出場にとどまり、逆に一塁での起用が増えるなど、守備力の低下が目立ち始めていた。そして、オフに新たに監督に就任したドン・ブレイザーの構想から外されてしまった。

 阪神が田淵を手放すとの情報を得て、阪急は加藤秀司、近鉄は神部年男、太田幸司らを交換要員に話を持ちかけた。だが、最も魅力的な条件を提示したのは、前年にプロ野球に参入したばかりの西武だった。新生ライオンズの目玉として、全国的な人気を誇る田淵がどうしても欲しかった西武は、強打者の竹之内に加えて、ともに25歳のオールスター遊撃手・真弓と強肩捕手・若菜の放出を決意。この思い切りの良さが決め手となって、球界屈指の強打者は埼玉へ活躍の場を移すことになった。

 阪神から放出を告げられた田淵は激怒し、当初は引退も辞さない構えだったが、最終的にトレードを受け入れた。西武の根本陸夫監督は法政大の先輩であり、さらに西武鉄道の本社がある池袋の近くで育ったため会社自体に馴染みもあって、西武に対しては悪い感情はなかった。一方、阪神に行く4選手は、セ・リーグの人気球団に移れるとあって異があろうはずもなかった。
 
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真弓が阪神にもたらした大幅なプラス収支