プロ野球

「手術してダメだったらこのまま終わってもいい」――どん底から這い上がったロッテ・高浜卓也が塁上で弟と見た光景<SLUGGER>

村岡範子

2021.06.29

キャンプで黙々とバットを振り抜いていた高浜。支配下再登録を勝ち取り、背番号も「127」から「61」へ変わった。写真:金子拓弥(THE DIGEST写真部)

 5月31日、プロ14年目を迎えた31歳のベテランが、育成枠から支配下登録を勝ち取った。高浜卓也(ロッテ)だ。

 横浜高から07年高校生ドラフト1位指名で阪神に入団、10年オフにFA人的補償でロッテに移籍した。16年に自己最多の53試合に出場したが、その後は出場機会が減少。19年オフに全内視鏡下腰椎椎間板ヘルニア摘出術を受け、育成選手となっていた。

 今シーズンは二軍で開幕から順調に安打を重ね、ファンの間でも支配下復帰を望む声が高まっていたが、本人は自らを取り巻く状況を冷静に見つめていた。

「この年になってくると周りの状況を見るというか、二軍にいる他の若い選手も結果が出ていましたし、(支配下登録は)まだないだろうと思っていました。諦めているっていう感じではなかったですけど、年齢も高いですし、7月31日の期限までに何とか戻れたらいいかなっていう感じでした」

 それでも、期限まで2か月早い段階で、新たに「61」の背番号を手にした。プロに入って6つ目の背番号という事実が、彼の紆余曲折のキャリアを物語っている。
 
 19年オフ、高浜は迷っていた。手術を受けても、身体が元通りになる保証はない。だが、最後は手術の道を選んだ。「このままやっても痛みもあるし、しびれもあるし、確実に自分の100%は出せないと思ったので。手術してダメだったらこのまま終わってもいいかなというぐらいの割り切りで賭けてみました。妻にも話して、『もしダメでも稼げるのは別に野球だけじゃないからね』という風に言われて。失敗して野球できなくなっても、そのままで野球ができなくなっても同じなので、それだったらやってみようと」

 リハビリを重ね、20年3月17日、巨人との二軍練習試合で実戦復帰。しかし、復帰直後は見ているこちらが分かるほど明らかに動きが硬かった。筋肉が固まり、可動域が狭まっていたのを元に戻さなければならなかったのもあるが、本人の中にも「120%でやって大丈夫なのかな」という迷いがあったのだという。しばらくは結果も出ていなったが、次第に心境が変わっていった。

「元々野球がダメになってもいいっていうイメージで手術しているので、ここでいろんなこと考えても一緒かって。今さら野球ができなくなることを怖がってもしょうがないなと思って、そこから思い切ってできるようになりました」
 
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「お前は打たないことには支配下になれないから」