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MLB

予定外の二刀流、同僚からの嫉妬…史上唯一の「10勝&10本塁打」を成し遂げた1918年のベーブ・ルース<SLUGGER>

出野哲也

2021.06.30

二刀流選手として大活躍した18年当時、ルースは23歳だった。C)GETTY IMAGES

二刀流選手として大活躍した18年当時、ルースは23歳だった。C)GETTY IMAGES

 現地6月28日、大谷翔平(エンジェルス)がヤンキー・スタジアムで今季26号本塁打を放った。建設当初、ヤンキー・スタジアムが「ベーブ・ルースが建てた家」と呼ばれていたことはよく知られている。MLB史上最大のスーパースターであるルースは、大谷以前に投手と野手の両方をトップレベルでこなしていた最後のメジャーリーガーでもある。

 現時点でMLB史上唯一の年間2ケタ勝利&2ケタ本塁打をルースが成し遂げたのは、大谷のメジャーデビューからちょうど100年前の1918年。当時はレッドソックスに所属していた。開幕時の年齢は23歳で、これも当時の大谷と同じだった。

 14年にデビューした当初、ルースはれっきとした投手だった。ただ、打力はその頃から際立っていて、野手転向を勧める声も上がっていた。15年は18勝を稼ぎつつ、打率.315で4本塁打を記録している。もっとも、17年までは投手以外では1試合も出ていない。16年はリーグベストの防御率1.75、その年から2年続けて20勝していた好投手を野手としても使うなど、レッドソックスの首脳陣には頭を過ぎることもなかったのだろう。
 
 だが18年、主力打者の左翼手ダフィー・ルイスが徴兵されてしまった。その穴を埋めるには、前年に142打席ながら打率.325、OPS(出塁率+長打率).857を記録したルースを起用するのが最も有効な手段だった。

 4月は投手専任だったが、5月4日に1号アーチを放つと、6日は「6番・一塁」で初めて野手として先発出場して2ランを打つと、以降は野手での出場が増えた。9日は「4番・投手」で5打数5安打(うち長打が4本)、翌10日に初めてレフトを守り、11日は一塁、15日は投手、16~18日はレフト……と、今の大谷と同じように野手と投手を行き来しながら出場するようになった。

 その後、故障で2週間近く戦列を離れたが、復帰後の6月2日から4試合連続本塁打。6日からはほぼ野手での出場になった。もともと打撃の方が好きで「毎日試合に出られない投手は退屈だ」とぼやいていたルースにとっては、この起用法は願ったり叶ったりだった。ついには打者として出たいがために「肩が痛いから投げられない。でも打つのは大丈夫」と仮病まで使い始めた。

 だが、エド・バーロウ監督はできるだけ投手で使いたかった。レッドソックスの主将ハリー・フーパーは「リーグ最高の若手左腕を投げさせないなんて馬鹿げている、という監督の考えも理解できた。(打者転向の)試みが失敗したら嘲笑されるんじゃないか、とも監督は恐れていた」と振り返っている。
 
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