1970年代後半最高の投手の一人だったJR・リチャードが、8月4日に亡くなった。享年71。彼の生涯はひと言で言えば「波瀾万丈」だった。
身長203センチの“ビッグ・ユニット”(巨大な物体)だったリチャードは、はるか高みから投げ下ろす時速100マイル(約161キロ)の豪速球と鋭いスライダーが武器の、当代最強のドクターKだった。71年9月5日のメジャー初登板では、通算660本塁打のウィリー・メイズや、同332本塁打ボビー・ボンズ(バリー・ボンズの父)らを擁したジャイアンツ打線からいきなり15三振を奪う鮮烈デビューでファンの度肝を抜いた。
制球に難があったため、ローテーションに定着したのは75年とやや遅かったが、巨体にコワモテ、しかも荒れ球と、打者が恐怖を感じる要素がそろっていた。78年にはナ・リーグの右投手では歴代最多(当時)の303奪三振を記録し、翌79年も両リーグ最多の313奪三振に加え、最優秀防御率のタイトルも獲得した。
しかし、絶頂期だった80年のシーズン中に脳卒中で突然倒れ、キャリアが絶たれることになる。再起を期してリハビリに取り組むも、結局メジャーの舞台には戻ることなく84年に引退。その後も相次いでビジネスに失敗し、生活が困窮して一時は路上生活者にまで身を落とすも教会に保護されて牧師として立ち直り、地域社会に貢献した……といった感じで、極端にアップダウンの激しい人生を送った。2005年にはリチャードの半生を描いた映画も公開されたほどだ。
個人的に思い出深いのは、リチャードの現役当時に船便で取り寄せた雑誌『スポーティング・ニューズ』で見た写真だ。何とリチャードは、右手で8つのボールをつかんでいた。MLBの情報源が限られていた当時、この写真はぼくの中のリチャードの“バケモノイメージ”を増幅させた。
70年代当時の“大リーグ”を代表する先発投手としては、日米野球で来日したこともある通算311勝のトム・シーバーや、“カリフォルニア・エクスプレス”ことノーラン・ライアンらがよく知られた存在で、その実力とは裏腹にリチャードの認知度は高くなかった。しかしリチャードは、オレンジ基調のレインボーユニフォームを着た時代のアストロズの象徴的存在だったのは間違いない。
身長203センチの“ビッグ・ユニット”(巨大な物体)だったリチャードは、はるか高みから投げ下ろす時速100マイル(約161キロ)の豪速球と鋭いスライダーが武器の、当代最強のドクターKだった。71年9月5日のメジャー初登板では、通算660本塁打のウィリー・メイズや、同332本塁打ボビー・ボンズ(バリー・ボンズの父)らを擁したジャイアンツ打線からいきなり15三振を奪う鮮烈デビューでファンの度肝を抜いた。
制球に難があったため、ローテーションに定着したのは75年とやや遅かったが、巨体にコワモテ、しかも荒れ球と、打者が恐怖を感じる要素がそろっていた。78年にはナ・リーグの右投手では歴代最多(当時)の303奪三振を記録し、翌79年も両リーグ最多の313奪三振に加え、最優秀防御率のタイトルも獲得した。
しかし、絶頂期だった80年のシーズン中に脳卒中で突然倒れ、キャリアが絶たれることになる。再起を期してリハビリに取り組むも、結局メジャーの舞台には戻ることなく84年に引退。その後も相次いでビジネスに失敗し、生活が困窮して一時は路上生活者にまで身を落とすも教会に保護されて牧師として立ち直り、地域社会に貢献した……といった感じで、極端にアップダウンの激しい人生を送った。2005年にはリチャードの半生を描いた映画も公開されたほどだ。
個人的に思い出深いのは、リチャードの現役当時に船便で取り寄せた雑誌『スポーティング・ニューズ』で見た写真だ。何とリチャードは、右手で8つのボールをつかんでいた。MLBの情報源が限られていた当時、この写真はぼくの中のリチャードの“バケモノイメージ”を増幅させた。
70年代当時の“大リーグ”を代表する先発投手としては、日米野球で来日したこともある通算311勝のトム・シーバーや、“カリフォルニア・エクスプレス”ことノーラン・ライアンらがよく知られた存在で、その実力とは裏腹にリチャードの認知度は高くなかった。しかしリチャードは、オレンジ基調のレインボーユニフォームを着た時代のアストロズの象徴的存在だったのは間違いない。
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