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大谷のフェンウェイでの活躍からつながった「MLBの救世主」ベーブ・ルースとの奇妙な歴史の偶然<SLUGGER>

ナガオ勝司

2022.05.14

かつてルース(右)が投げたフェンウェイで回答を披露した大谷(左)。それ以外にも、2人を奇妙な歴史の偶然が結びつけている。(C)Getty Images

かつてルース(右)が投げたフェンウェイで回答を披露した大谷(左)。それ以外にも、2人を奇妙な歴史の偶然が結びつけている。(C)Getty Images

 2022年5月5日(現地)木曜日、エンジェルスの大谷翔平は、現存するメジャーリーグ最古(1912年開場)の球場フェンウェイ・パークでのレッドソックス戦に「投手/3番・DH」として出場した。

 この日、「投手・大谷」は11三振を奪いながら7回6安打無失点で今季3勝目を挙げ、そして「打者」としても4打数2安打1打点の活躍で8対0の勝利に貢献した。

 すでに方々で伝えられている通り、フェンウェイ・パークで「投手」が打順4番までに入ってスタメンで出場したのは、1919年のベーブ・ルース以来103年ぶりの記録だったそうだ。

 1919年? 103年ぶり? レッドソックスの広報や記録会社には大変感謝しているが、詳細がよく分からないので、ちょっと調べてみた。

 1919年9月20日土曜日、当時24歳だったルースは、フェンウェイ・パークで行われたホワイトソックスとのダブルヘッダー第1試合に、「4番・投手」で先発出場した(当時は指名打者制度はなかった)。
 同年のホワイトソックスには、映画『フィールド・オブ・ドリームス』に登場したことでも知られる“シューレス”ジョー・ジャクソンらスター選手が何人も在籍していた。

 ジャクソンは当時31歳。ルースがそのスウィングを参考にしたと言われるほどの好打者で、21歳だった1911年にシーズン打率4割を達成するなど、その時点で10年連続打率3割以上を記録していた(1919年も打率.351でシーズンを終えている)。

 1回表、ルースは一死二塁のピンチを迎えたが無失点で切り抜けた。その裏、レッドソックスは四球で出塁した4番ルースが後続のタイムリーで生還するなどして3点を先制した。

 「投手・ルース」は4回、ジャクソンに左前適時打を許すなど2点を失った。続く5回は無失点に抑えたものの6回、ジャクソンの二塁内野安打を含む3安打で3対3の同点とされ、さらに一死二、三塁のピンチを招いてマウンドを降りた。
 
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