“パイオニア”野茂英雄のメジャー挑戦から25年以上が経った。大谷翔平(エンジェルス)の活躍に代表されるように、メジャーリーグの舞台に日本人選手が立つ光景はもはや当たり前となっている。
昨季は日本球界でもメジャーの影響が見て取れた。かつてメジャーでも活躍した高津臣吾が監督としてヤクルトを日本一に導いたのである。高卒2年目の奥川恭伸の中10日先発起用など、アメリカの野球を吸収したうえで日本野球と合致させた結果だった。
各球団の首脳陣にもMLB経験者が増え、これまでとは異なった野球を展開しているのも、メジャー挑戦の副産物と言えるだろう。海を渡った日本人選手たちが何を学び得てきたかは、彼らの成功と同じくらいに大事にしなければいけない。
「ずっと弱かったチームに入って、僕は最下位も優勝も味わった。レイズの新たな球団史が始まった基礎の中に入れたのはいい経験でした」
そう語るのは、2007年に海を渡り、翌年レイズの創設以来初のリーグ優勝に大きく貢献した岩村明憲だ。
日本では「強打の三塁手」として鳴らした岩村のメジャー挑戦は、底辺からのスタートだった。当時はまだチーム名がデビルレイズだった頃で、強豪ひしめくアメリカン・リーグ東地区にあって最下位が定位置と言える典型的な低迷球団だった。
「自分の運命に感謝しているんですけど、持っている星がそういうものだったと思う。僕は王道ではないんです。イチローさんや大谷くんとは何か違う形なんです。弱いチームから強いチームになるそのサクセスストーリーを経験できたのが良かった」
1年目は苦しかった。開幕して3ヵ月ほどで、チームには早くも白旗を上げる雰囲気が漂ったのだという。ビッグクラブではないと理解していたとはいえ、岩村にとっては茨の道の出発だった。
個人としては開幕から調子が良く、最初の18試合で打率.339。だが、4月下旬に脇腹を痛めて故障者リスト入りしてしまった。このように、きっかけをつかみかけていた時の痛い離脱もあったものの、最終的には主に1番を務めて123試合に出場し、打率.285、7本塁打、OPS(出塁率+長打率).770という成績で戦力の中枢となった。
昨季は日本球界でもメジャーの影響が見て取れた。かつてメジャーでも活躍した高津臣吾が監督としてヤクルトを日本一に導いたのである。高卒2年目の奥川恭伸の中10日先発起用など、アメリカの野球を吸収したうえで日本野球と合致させた結果だった。
各球団の首脳陣にもMLB経験者が増え、これまでとは異なった野球を展開しているのも、メジャー挑戦の副産物と言えるだろう。海を渡った日本人選手たちが何を学び得てきたかは、彼らの成功と同じくらいに大事にしなければいけない。
「ずっと弱かったチームに入って、僕は最下位も優勝も味わった。レイズの新たな球団史が始まった基礎の中に入れたのはいい経験でした」
そう語るのは、2007年に海を渡り、翌年レイズの創設以来初のリーグ優勝に大きく貢献した岩村明憲だ。
日本では「強打の三塁手」として鳴らした岩村のメジャー挑戦は、底辺からのスタートだった。当時はまだチーム名がデビルレイズだった頃で、強豪ひしめくアメリカン・リーグ東地区にあって最下位が定位置と言える典型的な低迷球団だった。
「自分の運命に感謝しているんですけど、持っている星がそういうものだったと思う。僕は王道ではないんです。イチローさんや大谷くんとは何か違う形なんです。弱いチームから強いチームになるそのサクセスストーリーを経験できたのが良かった」
1年目は苦しかった。開幕して3ヵ月ほどで、チームには早くも白旗を上げる雰囲気が漂ったのだという。ビッグクラブではないと理解していたとはいえ、岩村にとっては茨の道の出発だった。
個人としては開幕から調子が良く、最初の18試合で打率.339。だが、4月下旬に脇腹を痛めて故障者リスト入りしてしまった。このように、きっかけをつかみかけていた時の痛い離脱もあったものの、最終的には主に1番を務めて123試合に出場し、打率.285、7本塁打、OPS(出塁率+長打率).770という成績で戦力の中枢となった。