プロ野球

WBCで魅せた「生き返ったぞ」弾、メジャー最強守護神に浴びせた一打――勝負強さが際立った福留孝介の名場面5選<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2022.09.10

第1回WBC準決勝での劇的な“復活弾”は、日本のファンにとっては印象深い。(C)Getty Images

 9月8日、中日ドラゴンズの福留孝介が今季限りでの引退を表明した。1999年のプロ入り以来、24年間で日米5球団を渡り歩いて通算2450安打(9月10日時点)を記録したレジェンドの名場面を5つ厳選して振り返ろう。

▼まさに「1」ずくし。札幌ドームのこけら落としを祝福
(2001年6月26日 巨人×中日戦)


 現在は日本ハムのホームグラウンドとなっている札幌ドームで、プロ野球初の公式戦が行なわれたのは、2001年6月26日の巨人対中日戦だった。当時プロ3年目の福留はこの試合に1番・遊撃でスタメン出場。札幌ドームで最初に打席に立ったプロ選手となった。

 だが、メモリアルはそれだけでは終わらなかった。その記念すべき第1打席。福留が巨人先発ダレル・メイの投じた初球を振り切ると、打球はぐんぐん伸びて右中間スタンドに突き刺さるホームランとなった。背番号「1」の福留が、球場第「1」試合の「1」回表、「1」番打者の第「1」打席で「1」球目をホームランという"1づくしのメモリアルアーチ"に、福留は「狙っていました」と会心の笑顔を見せた。

 この一打を記念して、打球の落下点となった椅子には「第1号ホームラン記念 中日ドラゴンズ 福留選手」と記された金色のプレートが今もつけられている。日本ハムは今季限りで新球場に移るが、札幌ドームが存続する限り、福留の名は永遠にそこに残るのだ。
 
▼「生き返ったぞ福留!」WBCで値千金の代打弾
(2006年3月18日 WBC準決勝 日本×韓国戦)

 
 06年3月に第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催されたとき、福留はすでに球界を代表する選手へ成長していた。当然、日本代表に選ばれたが、大会では3番センターで起用されながらも2次リーグまでの6試合でわずか2安打と大不振。サンディエゴのペトコ・パークで行われた韓国との準決勝ではついにスタメンを外された。

 しかし、日本代表を率いた王貞治監督は、決して福留に見切りをつけたわけではなかった。0対0の同点で迎えた7回表。1死二塁のチャンスで、今江敏晃に代わって福留が代打に送り出された。韓国とはこの大会ですでに3度目の対戦で、過去2試合はいずれも敗戦。そして、この試合に負ければ決勝進出の可能性は潰える。そんな重要な場面で、王監督は福留に賭けたのだ。

 相手投手はメジャーでも活躍した金炳賢(キム・ビョンヒョン)。日本のファンは、誰もが福留の"復活"を祈っていた。その思いを代弁するかのように、実況中継を担当していたTBSの松下賢次アナウンサーが「生き返れ、福留……」とつぶやいたその瞬間だった。

 カウント1-1から真ん中に入ってきたボールを福留が一閃。打球は高々と舞い上がり、ライトスタンドに落ちた。日本代表ナインも、そして実況席も福留の鮮やかな復活に大喜びで、松下アナは興奮を抑えきれずに「生き返ったぞ福留!」と絶叫。その横で、解説の衣笠祥雄が「ああ、良かった……」と安堵のコメントをしたのも印象的だった。

 この一打が決勝点となり、日本は韓国に7対0で勝利して決勝へと駒を進めた。福留はキューバとの決勝でも9回に代打で登場し、世界一に貢献する2点タイムリー安打を放って優勝に貢献した。
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