9月13日に55号本塁打を放って以来、村上宗隆(ヤクルト)は足踏みが続いている。“球界最強打者”を各球団が徹底的にマークしている結果だが、「56」の壁をなかなか超えられない光景には、どこか既視感がある。少なくとも2013年にウラディミール・バレンティン(ヤクルト)が乗り越えるまでの間、確かにそこには“聖域”が存在していた。
王貞治が55本塁打のシーズン最多記録を樹立したのは、1964年のことだ。前年に野村克也が樹立した52本塁打をたった1年で塗り替えたこの数字は、その後49年にわたって歴代1位にとどまり続けた。
だがその間、更新のチャンスがまったくなかったわけではない。まず85年、ランディ・バース(阪神)がこの記録に迫った。10月20日の中日戦で54号を放ったバースは、この時点でまだ2試合を残していた。
だが、バースにとっての不運は、その2試合の相手が、他ならぬ王が監督を務める巨人だったことだ。1試合目の先発・江川卓だけは真っ向勝負を挑んだが、他の巨人投手陣は王の記録を守るため、バースとの勝負を徹底的に避けた。
当時、巨人に在籍していた助っ人投手キース・カムストックが後に著書で明かしたところによると、「バースにストライクを投げたら、1球につき罰金1000ドルを科せられていた」と言う。2試合で5四球と徹底的に勝負を避けられたバースは、結局54本塁打に終わり、タイ記録達成すらならなかった。
それから16年後、次に記録に迫ったのが近鉄のタフィ・ローズだ。10月12日、シーズン128試合目(当時は140試合制)で54号を放ったローズは、24日に55号を放ってついに王の記録に並ぶ。この時点で、シーズンはまだ5試合残っており、新記録達成は間違いなしと思われた。
だが、ローズはそこから足踏みしてしまう。次の試合では4打数でシングルヒット1本、29日の137試合目では、四球と死球が1個ずつの一方で無安打に終わった。
王貞治が55本塁打のシーズン最多記録を樹立したのは、1964年のことだ。前年に野村克也が樹立した52本塁打をたった1年で塗り替えたこの数字は、その後49年にわたって歴代1位にとどまり続けた。
だがその間、更新のチャンスがまったくなかったわけではない。まず85年、ランディ・バース(阪神)がこの記録に迫った。10月20日の中日戦で54号を放ったバースは、この時点でまだ2試合を残していた。
だが、バースにとっての不運は、その2試合の相手が、他ならぬ王が監督を務める巨人だったことだ。1試合目の先発・江川卓だけは真っ向勝負を挑んだが、他の巨人投手陣は王の記録を守るため、バースとの勝負を徹底的に避けた。
当時、巨人に在籍していた助っ人投手キース・カムストックが後に著書で明かしたところによると、「バースにストライクを投げたら、1球につき罰金1000ドルを科せられていた」と言う。2試合で5四球と徹底的に勝負を避けられたバースは、結局54本塁打に終わり、タイ記録達成すらならなかった。
それから16年後、次に記録に迫ったのが近鉄のタフィ・ローズだ。10月12日、シーズン128試合目(当時は140試合制)で54号を放ったローズは、24日に55号を放ってついに王の記録に並ぶ。この時点で、シーズンはまだ5試合残っており、新記録達成は間違いなしと思われた。
だが、ローズはそこから足踏みしてしまう。次の試合では4打数でシングルヒット1本、29日の137試合目では、四球と死球が1個ずつの一方で無安打に終わった。
関連記事
- 日本球界55本塁打の英傑5人を徹底比較! 偉大なる数字で見えてきた村上宗隆の「凄み」<SLUGGER>
- 左翼席見つめ、手応え十分の確信歩き! 村上宗隆、王貞治に並ぶ日本人歴代最多タイの55号! 巨人エース&クローザーから圧巻2発
- 村上宗隆の圧倒的打棒は“ボンズ級”!? 米メディアが伝えたMLBスカウトのリアル評「打撃に重きを置いた三塁手になるか」
- ジャッジを上回る量産ペースにも注目! 米メディア、村上宗隆の55号到達の快挙に脚光! 「アメリカには来るのか?」と去就にも言及
- 王貞治、落合博満、バースらはいかに“偉業”をやってのけたのか? 村上宗隆が迫る金字塔の到達者たち【三冠王列伝】<SLUGGER>