プロ野球

「ガイジンに王の記録を破らせるな」―シーズン55号本塁打の聖域をめぐる“負の歴史”<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2022.09.25

02年、ダイエーの敬遠攻めに不満顔のカブレラ。当時は助っ人には頑なに記録を更新させないという風潮が球界全体に存在した。写真:産経新聞社

 9月13日に55号本塁打を放って以来、村上宗隆(ヤクルト)は足踏みが続いている。"球界最強打者"を各球団が徹底的にマークしている結果だが、「56」の壁をなかなか超えられない光景には、どこか既視感がある。少なくとも2013年にウラディミール・バレンティン(ヤクルト)が乗り越えるまでの間、確かにそこには"聖域"が存在していた。

 王貞治が55本塁打のシーズン最多記録を樹立したのは、1964年のことだ。前年に野村克也が樹立した52本塁打をたった1年で塗り替えたこの数字は、その後49年にわたって歴代1位にとどまり続けた。

 だがその間、更新のチャンスがまったくなかったわけではない。まず85年、ランディ・バース(阪神)がこの記録に迫った。10月20日の中日戦で54号を放ったバースは、この時点でまだ2試合を残していた。
 
 だが、バースにとっての不運は、その2試合の相手が、他ならぬ王が監督を務める巨人だったことだ。1試合目の先発・江川卓だけは真っ向勝負を挑んだが、他の巨人投手陣は王の記録を守るため、バースとの勝負を徹底的に避けた。

 当時、巨人に在籍していた助っ人投手キース・カムストックが後に著書で明かしたところによると、「バースにストライクを投げたら、1球につき罰金1000ドルを科せられていた」と言う。2試合で5四球と徹底的に勝負を避けられたバースは、結局54本塁打に終わり、タイ記録達成すらならなかった。

 それから16年後、次に記録に迫ったのが近鉄のタフィ・ローズだ。10月12日、シーズン128試合目(当時は140試合制)で54号を放ったローズは、24日に55号を放ってついに王の記録に並ぶ。この時点で、シーズンはまだ5試合残っており、新記録達成は間違いなしと思われた。

 だが、ローズはそこから足踏みしてしまう。次の試合では4打数でシングルヒット1本、29日の137試合目では、四球と死球が1個ずつの一方で無安打に終わった。
 
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2人の助っ人を襲ったダイエーの敬遠攻め