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プロ野球

3月のあの時、西川遥輝の目は「メジャー」を見ていた

氏原英明

2019.11.28

来オフのMLB移籍を申し出た西川。その“野望”は今年3月に行われたメジャー球団との対戦の時には、徐々に発露していた。写真:徳原隆元

来オフのMLB移籍を申し出た西川。その“野望”は今年3月に行われたメジャー球団との対戦の時には、徐々に発露していた。写真:徳原隆元

 今にして思えば、あの眼差しは「興味」というレベルではなかったのかもしれない。

 今年3月に東京ドームで開催された『MLB  OPENINGシリーズ』のエキシビションマッチ、日本ハム対アスレティックス戦でのことだ。

 大型三塁手のマット・チャップマンや2017年本塁打王のクリス・デービスら、アスレティックスの名だたる強打者たちがバッティング練習する様子を、ファイターズの背番号「7」が仲間たちとともに見つめていた。

 まったく読めない表情だった。

 その男、西川遥輝が、20年オフ以降のメジャー挑戦を球団に願い出たという。球団には3年ほど前から伝えていたというから、このニュースには少し驚かされた。

 あの時、西川はただ“興味”を持って見ていただけではなかった、ということなのだろう。

 西川が海を渡ろうとすること。

 もちろん、「賛」である。

 実際にメジャーで成功できるかどうかは誰にも分からないが、挑戦しないことには、その答えが出ないのもまた事実である。

 西川とは、言ってみれば食えない男である。
 
 甲子園のスターと言われた智弁和歌山時代は怪我に泣いてきた。1年夏に右手の有鈎骨を骨折、2年の夏前にも左手の舟状骨を亀裂骨折するなど、ベストコンディションだった彼を見た記憶が少ない。県大会や近畿大会などでのプレーを見ても、やる気があるのかないのかも見えない選手だった。

 しかし、大舞台へ行くと様変わりする。当時の監督だった高嶋仁氏も、こんなことを言っていたものだ。

「(遥輝は)故障ばっかりしていて、いつもいい状態ではなかったけど、甲子園に来たら打ちよるんです。大舞台でなんかやりよるんちゃうかっていう期待がいつもある」

 プロ入り後も、ドラフト指名順位(2010年2位)ほどの予感はしていなかったが、日本ハムの環境に馴染んでいくと、西川はぐんぐん結果を残した。

 西川が秀でていたのは「突き詰める」能力だ。日本ハムのファーム教育ディレクターである本村幸雄氏がかつてこんな話をしていた。

「入団した時から何とか野球で食っていきたい、活躍したいという意識がものすごく高い選手でした。野球に対して高めたいという気持ちがあるから、継続してできる。高いところに行きたいという気持ちの強い選手ですね」
 
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