プロ野球

2年連続最下位からの脱却に成功した中嶋聡と高津臣吾。球界の“定説”をも覆した両指揮官の意外な共通点とは?

西尾典文

2022.12.26

リーグ連覇を達成したオリックスとヤクルト。現役時代、中嶋監督(右)は捕手、高津監督(左)は投手として活躍している。写真:THE DIGEST写真部

 昨年に続いてヤクルトとオリックスの対戦となった日本シリーズ。結果はオリックスが4勝2敗1引き分けで昨年のリベンジを果たし、実に26年ぶりの日本一に輝いた。リーグ連覇を達成する前はともに2年連続で最下位に沈むなど、何かと比較されることの多い両球団だが、指揮を執る中嶋聡監督、高津臣吾監督も現役時代のポジションは違うものの意外と共通点は少なくない。

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 まず挙げられるのが現役時代からあらゆるチームでのプレーを経験しているという点だ。中嶋監督は1986年のドラフト3位で阪急(現・オリックス)に入団。2年目には早くも一軍の戦力となり、1995年からのリーグ連覇にも大きく貢献。その後にFA(フリーエージェント)で西武、トレードで横浜(現・DeNA)、日本ハムと渡り歩き、2007年から引退する2015年までは選手兼コーチも務めた。

 実働(一軍出場)年数29年は工藤公康(元・西武など)、山本昌(元・中日)と並んでプロ野球最多タイ記録である。ちなみにこの間にリーグ優勝8回(オリックス、西武各2回、日本ハム4回)、日本一2回(オリックス、日本ハム各1回)を経験しているが、逆に最下位は2013年の日本ハムでの1回だけ。ここまで長く強いチームでプレーし続けてきた選手はなかなかいないだろう。

 一方の高津監督もNPBでプレーしたのはヤクルトだけだが、その選手経験の豊富さは中嶋監督にも全く引けを取らない。2003年オフにFA権を行使してホワイトソックスに移籍すると、シーズン途中からは抑えを任せられるなど活躍。翌シーズンの途中にはメッツに移籍し、メジャー通算2年で8勝、27セーブ、8ホールドを記録し、2006年には古巣のヤクルトに復帰した。

 ここまでであればそれほど珍しくない経歴だが、バラエティーに富んでいるのはこの後である。2007年限りでヤクルトを自由契約となると、再びメジャー移籍を目指して渡米。カブスとマイナー契約を結んだもののオープン戦で結果を残せず開幕前に退団を余儀なくされたが、今度は韓国KBOのウリ(現・キウム)で現役を続行を決意したのだ。

 翌年は三度渡米してジャイアンツのマイナーでプレー。そして2010年には台湾に渡り、2011年から2年間はBCリーグの新潟でもマウンドに上がっている。NPB通算286セーブは岩瀬仁紀(元・中日)に次ぐ歴代2位の数字だが、これだけの実績がありながら、ここまであらゆるリーグでプレーした選手は他にはいない。
 
 この両指揮官には選手としての多岐にわたる経歴だけでなく、監督就任に至るプロセスにも共通点がある。

 1つ目はプレイングマネージャーとしての経験だ。中嶋監督は日本ハムで実に9年間選手兼任コーチを務めているが、高津監督もBCリーグ新潟での2年間は選手兼任監督を務めている。NPB球団と独立リーグ球団ではチームとしての体制は大きく異なっているものの、プレーしながら指導者も務めたという経験から得られるものは大きいのではないだろうか。

 2つ目は海外での経験である。高津監督は前述したように日本、アメリカ、韓国、台湾でプレーしているが、中嶋監督も現役引退した後の2016年から2年間は日本ハムでGM特別補佐という肩書でパドレスに派遣され、マイナーリーグの巡回コーチも務めている。期間は短くても、海外の球団で指導者を経験してきたことのプラスも大きいはずだ。

 そして監督就任前には一軍のコーチを経て二軍監督を経験しているという点も共通している。この2人以外にも三浦大輔監督(DeNA)や来季から指揮を執る松井稼頭央監督(西武)など二軍監督から一軍監督に昇格した例は多いが、それ以前にここまで選手としても指導者としても多くの経験を持っている指導者はなかなかいないだろう。
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両監督は新戦力の発掘にも積極的に働きかける