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プロ野球

「竜の未来を担う男」高橋周平にようやく訪れた春。ファンも信じた「やればできる子」

2019.11.28

伸び悩みの時期が長く続いた高橋だが、今季はゴールデン・グラブとベストナインをW受賞するなどようやく花開いた。写真:田中研治

伸び悩みの時期が長く続いた高橋だが、今季はゴールデン・グラブとベストナインをW受賞するなどようやく花開いた。写真:田中研治

「ついに周平がここまで来たか……」。そう感慨にふけった竜党は決して少なくないだろう。11月25日、2019年度セ・リーグベストナインが発表され、高橋周平(中日)がゴールデン・グラブに続いて初受賞。プロ8年目にして、名実ともに一流選手の仲間入りを果たした。

 11年のドラフトで超高校級スラッガーとして注目を集め、ヤクルト、オリックスとの競合の末にドラゴンズに入団した高橋――いやこの稿ではドラゴンズファンがいつもそうしているようにあえて「周平」と呼ぼう――は、ブレイクまでに長い雌伏の時期を経験した。

 結果が出なかった時期、周平への周囲からの風当たりはかなり強いものがあった。ドラフト1位選手の常と言ってしまえばそれまでだが、周平の場合、ある事情によって周囲の「やきもき感」がより一層強まっていたようにも思う。
 それは、彼の入団とほぼ軌を一にするように、ドラゴンズが球団史上最悪の低迷期に突入したことだ。入団2年目の13年から7年連続Bクラス。これは、チームにとって文字通り「未知の領域」だった。実は、それまでのドラゴンズは長期低迷知らずのチームだった。2リーグ制以降では1968~70年の3年連続Bクラスが最長で、低迷した翌年は必ずと言っていいほど優勝争いに絡んでいた。

 そのドラゴンズが、13年から長い長いトンネルに入った。そして、伸び悩む周平はある意味で「低迷の象徴的存在」として受け取られるようになっていったのだ。その意味で、彼には不必要なプレッシャーがかけられていたのも事実だ。球団の育成方針も一貫性に欠けていた。一軍に上がっても結果が出ないとすぐ二軍に落とされ、かといってじっくり育てるわけでもないどっちつかずの状態が何年も続いた。

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