アスレティックスのあまりの弱さが話題になっている。6月10日時点で15勝50敗、勝率は.231。1962年に創設1年目のニューヨーク・メッツが記録した、近代MLBワーストの年間120敗を超えかねない勢いで負け続けているのだ。
ところで、“近代”と記したのは訳がある。現行のナショナル、アメリカンの2大リーグ制となったのは1901年で、それ以前のメジャーリーグはルールなどさまざまな点で今と違っているため、記録面でも区別する慣行があるのだ。
そして“近代以前”まで遡ると、実はメッツ以上に負けまくったチームが存在する。1899年、ナ・リーグに所属していたクリーブランド・スパイダーズが、20勝134敗、勝率.130という驚異のシーズンを送っていた。いかなアスレティックスでも残り試合で85敗もするとは考えられず(断言はしかねるけれども)、この不名誉な記録はこれからもずっと残り続けるに違いない。
87年に結成されたスパイダーズは、ずっと弱小だったわけではない。闘志を前面に押し出したハッスルプレー/ラフプレーで名を馳せ、リーグ優勝こそないが2位には3回入っている。あのサイ・ヤングがメジャーデビューを飾った球団でもあり、通算511勝のうち半分近い240勝をスパイダーズ時代に稼いだ。98年も81勝68敗で、12球団中5位と悪くなかったチームが、なぜ翌年その2倍近い負け数を喫してしまったのだろうか? クリーブランドと言えば、現在はガーディアンズの本拠地であり、以前の名称はインディアンスだった。このチームは、コメディ映画『メジャーリーグ』のモデルにもなった。映画では本拠地移転を目論むオーナーが、わざと負けるために下手な選手たちを集めていたが、スパイダーズでも似たような悪巧みが行われていたのだ。
ただし、その結末は正反対だった。
当時、球団を所有していたのはフランクとスタンリーのロビソン兄弟。99年春、彼らはセントルイスにあったブラウンズを買収する。当時のオーナーは複数の球団を所有することが可能だったのだ。
そして、ロビソンはクリーブランドより人口が20万人近くも多く、全米で4番目の大都市だったセントルイスのチームの方を強くしようと考えた。商売人としては当然の判断と言えよう。
その結果、スパイダーズ投手陣からは前年25勝のヤング、23勝のジャック・パウエルら4人の先発要員が全員移籍。野手でも95~96年に2年連続4割を記録した好打者ジェシー・バーケット以下、レギュラー8人中7人がセントルイスへ移った(残りの一人は現役を引退した)。その中には監督兼一塁手のパッツィ・テボーも含まれており、ほとんどチームごと移転したようなものである。
ところで、“近代”と記したのは訳がある。現行のナショナル、アメリカンの2大リーグ制となったのは1901年で、それ以前のメジャーリーグはルールなどさまざまな点で今と違っているため、記録面でも区別する慣行があるのだ。
そして“近代以前”まで遡ると、実はメッツ以上に負けまくったチームが存在する。1899年、ナ・リーグに所属していたクリーブランド・スパイダーズが、20勝134敗、勝率.130という驚異のシーズンを送っていた。いかなアスレティックスでも残り試合で85敗もするとは考えられず(断言はしかねるけれども)、この不名誉な記録はこれからもずっと残り続けるに違いない。
87年に結成されたスパイダーズは、ずっと弱小だったわけではない。闘志を前面に押し出したハッスルプレー/ラフプレーで名を馳せ、リーグ優勝こそないが2位には3回入っている。あのサイ・ヤングがメジャーデビューを飾った球団でもあり、通算511勝のうち半分近い240勝をスパイダーズ時代に稼いだ。98年も81勝68敗で、12球団中5位と悪くなかったチームが、なぜ翌年その2倍近い負け数を喫してしまったのだろうか? クリーブランドと言えば、現在はガーディアンズの本拠地であり、以前の名称はインディアンスだった。このチームは、コメディ映画『メジャーリーグ』のモデルにもなった。映画では本拠地移転を目論むオーナーが、わざと負けるために下手な選手たちを集めていたが、スパイダーズでも似たような悪巧みが行われていたのだ。
ただし、その結末は正反対だった。
当時、球団を所有していたのはフランクとスタンリーのロビソン兄弟。99年春、彼らはセントルイスにあったブラウンズを買収する。当時のオーナーは複数の球団を所有することが可能だったのだ。
そして、ロビソンはクリーブランドより人口が20万人近くも多く、全米で4番目の大都市だったセントルイスのチームの方を強くしようと考えた。商売人としては当然の判断と言えよう。
その結果、スパイダーズ投手陣からは前年25勝のヤング、23勝のジャック・パウエルら4人の先発要員が全員移籍。野手でも95~96年に2年連続4割を記録した好打者ジェシー・バーケット以下、レギュラー8人中7人がセントルイスへ移った(残りの一人は現役を引退した)。その中には監督兼一塁手のパッツィ・テボーも含まれており、ほとんどチームごと移転したようなものである。
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