ブラウンズから不要になった選手たちを押し付けられた99年のスパイダーズは、実質的にセントルイスのファームになった。少しでも使えると判断された者はセントルイスへ送られ、監督兼三塁手のラブ・クロスもその一人であった。
こんなチームが勝てるわけがなく、月別では7勝19敗の5月が最多勝、その他はいずれも4勝以下。9月以降は1勝34敗という信じ難い数字が残っている。年間を通じ、連勝は5月20日と21日の2試合が唯一。1位のブルックリン・スパーバス(現ロサンゼルス・ドジャース)からは84ゲーム、11位のワシントン・セネターズ(現在は消滅)からも35ゲーム差をつけられた。
観客動員は年間6088人。いくら何でも少なすぎでは? と思われるかもしれないが、これはあまりにも客が入らず、7月以降はほとんどの試合をロードで消化するようになったから。新聞記者たちには、新たなニックネーム――「エグザイルズ(流浪者)」を授けられた。 ホームでの成績は9勝33敗で、これでも弱すぎるが、ロードでの11勝101敗に比べればマシだった。なお、「パーフェクトス」と呼ばれた99年のセントルイス球団は5位。実質的に前年のスパイダーズと同じ選手で戦い、結果までも同じだった。
シーズン終了後、ナ・リーグは12球団制から8球団への縮小を決定。ロビソン兄弟は補償金2万5000ドルを受け取り、喜んでスパイダーズの消滅に同意した。以後はセントルイスでの経営に専念した兄弟だったが、08年に兄、11年に弟が相次いで死去。カーディナルスと名を変えたチームの、ナ・リーグでの初優勝は26年まで待たねばならなかった。
一方、見捨てられたクリーブランドの方は、01年に新球団が誕生しア・リーグに加入。カーディナルスより早い20年にワールドシリーズ初制覇を果たしている。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
こんなチームが勝てるわけがなく、月別では7勝19敗の5月が最多勝、その他はいずれも4勝以下。9月以降は1勝34敗という信じ難い数字が残っている。年間を通じ、連勝は5月20日と21日の2試合が唯一。1位のブルックリン・スパーバス(現ロサンゼルス・ドジャース)からは84ゲーム、11位のワシントン・セネターズ(現在は消滅)からも35ゲーム差をつけられた。
観客動員は年間6088人。いくら何でも少なすぎでは? と思われるかもしれないが、これはあまりにも客が入らず、7月以降はほとんどの試合をロードで消化するようになったから。新聞記者たちには、新たなニックネーム――「エグザイルズ(流浪者)」を授けられた。 ホームでの成績は9勝33敗で、これでも弱すぎるが、ロードでの11勝101敗に比べればマシだった。なお、「パーフェクトス」と呼ばれた99年のセントルイス球団は5位。実質的に前年のスパイダーズと同じ選手で戦い、結果までも同じだった。
シーズン終了後、ナ・リーグは12球団制から8球団への縮小を決定。ロビソン兄弟は補償金2万5000ドルを受け取り、喜んでスパイダーズの消滅に同意した。以後はセントルイスでの経営に専念した兄弟だったが、08年に兄、11年に弟が相次いで死去。カーディナルスと名を変えたチームの、ナ・リーグでの初優勝は26年まで待たねばならなかった。
一方、見捨てられたクリーブランドの方は、01年に新球団が誕生しア・リーグに加入。カーディナルスより早い20年にワールドシリーズ初制覇を果たしている。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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