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プロ野球

3週間だけの米国留学の体験を糧に――西武ファーム投手コーチ、大石達也の理想の指導者像<SLUGGER>

氏原英明

2023.06.14

留学後は三軍コーチを経て、21年から二軍投手コーチとして指導する大石。アメリカでの経験を活かし、データに基づいた育成法を期待されての人事だ。写真:氏原英明

留学後は三軍コーチを経て、21年から二軍投手コーチとして指導する大石。アメリカでの経験を活かし、データに基づいた育成法を期待されての人事だ。写真:氏原英明

 BPかなぁ。

 現役生活に終止符を打つことを決めていた大石達也は、引退後の身の振り方をおぼろげながら想像していた。

「そんなに教えるのは向いていないのかなと思っていたので、バッピかな。それか、スコアラー。自分はそっち方面の仕事に就く人間かなと思っていました」

 2010年のドラフト会議で、5球団競合の末に西武に入団した大石。その9年後、通算132登板で5勝6敗、8セーブ/12ホールドで現役を引退した。

 しかし、引退当初の自身の想像と、大石のセカンドキャリアは思いの外、異なる方向へ向かっていった。それは球団からある提案を受け入れたことが発端になった。

「戦力外になってその後どうするかと聞かれて、引退しますと答えたんですけど、その時に、メッツと業務提携をしていて、留学の話があると。コーチになるために勉強しにいくというのではなくて、向こうのコーチングを学ぶという意味でのものだと聞いて、面白そうだなと思いました。なので是非行かせてくださいと言ったんです」
 
 自分が将来コーチになるために行くのではなく、アメリカの組織や環境を勉強できるからと、大石は20年3月に海を渡った。

 ところが、いざメッツのマイナーキャンプに合流すると、ユニフォームを渡された。二、三日現地のコーチの後ろをついて回った後「頼んだぞ」と言われ、はからずも指導者の役割を担うことになったのだった。

 高校生に教えるような基本的なことばかりだったが、それでも日本でコーチ経験のない大石にとっては突然の修行だった。それも、1ヵ月も経てば通訳が帰国することになっていたため、その後は英語で指導しなければならなくなるおまけまでついていた。英語が喋れるわけでもなかった大石は、いきなりとんでもない環境に身を置くことになっていた。

「どうやって教えるかどうかの問題じゃなくなっていましたね。とにかく、英語を覚えなくちゃいけない。英語の勉強に必死でした。みんなの前でスピーチしろとも言われましたし、通訳がいなくなるまでは、自分で教えようと思うことをまとめて、通訳に英語にしてもらって、それを話すというようなことをしていたんです」

 おそらく、これを大石が一年続けていれば、また違った人生観になっていたかもしれない。しかし、残念ながら留学は3週間で終了した。新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るったからだ。

 たった3週間ととるか、貴重な3週間ととるかは捉え方次第だろう。取材を申し込んだ時は「僕なんかが出ていいのか」と謙遜していたそうだが、取材を進めていくと、大石はその体験を絞り出してくれた。
 
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