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メジャー初勝利の直後に飲酒運転の巻き添えで...あまりに痛ましいエイデンハートの死【エンジェルス悲劇の暗黒史】<SLUGGER>

出野哲也

2023.06.29

09年4月8日、アスレティックス戦で快投を披露したエイデンハート。これが生涯最後の登板となってしまった。(C)Getty Images

 大谷翔平の加入後、エンジェルスは日本人にとって一番身近なメジャーリーグの球団となった。しかしながら、このチームには在籍中に亡くなった選手が5人もいるという不幸な過去もある。

 ニック・エイデンハートの死は、メジャーリーグの歴史の中でもとりわけ痛ましいものだ。現役中に亡くなった選手は何人もいるが、ロベルト・クレメンテやサーマン・マンソンのように功成り名を遂げた後なら、多少なりとも慰めにはなる。また、ホゼ・フェルナンデスのように自身の向こう見ずな行為が死を招いたのであれば、厳しい言い方ではあるが自業自得だ。

 だが、エイデンハートのケースはそうではない。将来を嘱望されていた22歳の若者が、何の落ち度もなく突然前途を断たれたのだ。

 エイデンハートは高校生の頃から大きな注目を浴びていた逸材だった。2003年には『ベースボール・アメリカ』誌から高校生ナンバーワン投手に選ばれ、04年最初の登板では15三振を奪って完全試合を成し遂げた。だが、右ヒジを痛め、ドラフトの2週間前にトミー・ジョン手術を受けたため、ノースカロライナ大へ進学する予定でいた。
 それでもエンジェルスが14巡目で彼の指名に踏み切る。スカウト部長のエディ・ベインは「賭けではあったが、健康なら全体8位以内に指名される大器だ」とその理由を説明。大学よりプロの方が適切なリハビリを施せると説得し、契約金71万ドルで入団にこぎ着けた。

 05年終盤にプロ初登板を飾ったエイデンハートは順調に成長し、08年5月に早くもメジャー初登板。12日のホワイトソックス戦で初勝利を挙げた。ただし3先発で防御率9.00と打ち込まれ、3Aへ降格してからも自信喪失気味になって苦戦が続いたが、首脳陣からの高評価は変わらなかった。

 翌09年はベテラン投手たちの故障もあって開幕ローテーション入り。4月8日のアスレティックス戦では、6回を無失点に封じる見事な投球を演じた。エンジェル・スタジアムの観客席には父の姿もあった。「何か特別なことが起きるかもしれないから」と言って、エイデンハートがボルティモアから呼び寄せていたのだ。そのおかげで、父は息子の人生最後の雄姿を目にすることができた。
 
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今もエンジェルスの最優秀投手賞に残るエイデンハートの名前