2019年の名珍場面を『THE DIGEST』のヒット記事で振り返るこの企画。今回チョイスしたのは、戦力外から這い上がった男たちの物語だ。山本和範や畠山準、遠山奨志らリストラをバネに第一線に返り咲いた名手たちの鮮烈な活躍は、いまもなお輝き続けている。
記事初掲載:2019年11月7日
◆ ◆ ◆
10月24日で戦力外通告の通達期間が終了し、今年も12球団合計で102人が非情な通知を受けた。
だが、たとえ戦力外通告を受けたからといって、あきらめるにはまだ早い。戦力外から這い上がり、再び第一線で活躍した選手は過去に何人もいる。今回はそのうち、特に実績を残した8人を紹介しよう。
▼山本和範(元南海・ダイエーほか/外野手)
1976年のドラフト5位で近鉄バファローズに指名されたが、在籍6年でわずか6安打。82年オフに自由契約となるも、現役続行をあきらめきれない山本は、バッティングセンターに住み込みで働きながらオファーを待つ。その虚仮の一念が通じたのか、83年に南海ホークスに入団。
雪辱に燃えた山本は、新天地で外野のレギュラーをつかみ、85年に全試合出場、86年にはオールスター出場を果たし、ゴールデン・グラブ賞も獲得する。94年には、あのイチローと首位打者を争った。惜しくも敗れはしたもののリーグ2位の好成績で、年俸も2億円に到達した。
しかしこの高年俸がネックとなって、46試合の出場に終わった翌年オフにまたも自由契約。すでに39歳と高齢だった山本は古巣・近鉄に拾われると、2年連続2ケタ本塁打を放って再度復活を果たす。99年限りで引退したが、現役最終打席でも意地のホームラン。諦めない姿勢を最後まで貫いた選手だった。
▼畠山準(元大洋・横浜ほか/外野手)
82年夏の甲子園大会で優勝した池田高のエースで4番だった畠山は、同年のドラフト1位で南海ホークスへ入団したが、投手としては伸び悩んだ。1年目は0勝3敗、防御率6.07。2年目は規定投球回に到達するも5勝12敗と大きく負け越し。結局5年目までに6勝しかできず、故障もあって88年から打者に転向した。だが打率2割を超えるのもやっとの有様で、90年限りで戦力外に。
しかし翌年、大洋ホエールズの入団テストを受けて合格したのを機に開花。3年目の93年にはライトのレギュラーに定着し、この年から3年連続でオールスターにも出場した。96年からは鈴木尚典や佐伯貴弘らの台頭もあって出場機会が減少し、99年オフに再び戦力外通告を受け引退。現在はDeNAの球団職員を務めている。
記事初掲載:2019年11月7日
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10月24日で戦力外通告の通達期間が終了し、今年も12球団合計で102人が非情な通知を受けた。
だが、たとえ戦力外通告を受けたからといって、あきらめるにはまだ早い。戦力外から這い上がり、再び第一線で活躍した選手は過去に何人もいる。今回はそのうち、特に実績を残した8人を紹介しよう。
▼山本和範(元南海・ダイエーほか/外野手)
1976年のドラフト5位で近鉄バファローズに指名されたが、在籍6年でわずか6安打。82年オフに自由契約となるも、現役続行をあきらめきれない山本は、バッティングセンターに住み込みで働きながらオファーを待つ。その虚仮の一念が通じたのか、83年に南海ホークスに入団。
雪辱に燃えた山本は、新天地で外野のレギュラーをつかみ、85年に全試合出場、86年にはオールスター出場を果たし、ゴールデン・グラブ賞も獲得する。94年には、あのイチローと首位打者を争った。惜しくも敗れはしたもののリーグ2位の好成績で、年俸も2億円に到達した。
しかしこの高年俸がネックとなって、46試合の出場に終わった翌年オフにまたも自由契約。すでに39歳と高齢だった山本は古巣・近鉄に拾われると、2年連続2ケタ本塁打を放って再度復活を果たす。99年限りで引退したが、現役最終打席でも意地のホームラン。諦めない姿勢を最後まで貫いた選手だった。
▼畠山準(元大洋・横浜ほか/外野手)
82年夏の甲子園大会で優勝した池田高のエースで4番だった畠山は、同年のドラフト1位で南海ホークスへ入団したが、投手としては伸び悩んだ。1年目は0勝3敗、防御率6.07。2年目は規定投球回に到達するも5勝12敗と大きく負け越し。結局5年目までに6勝しかできず、故障もあって88年から打者に転向した。だが打率2割を超えるのもやっとの有様で、90年限りで戦力外に。
しかし翌年、大洋ホエールズの入団テストを受けて合格したのを機に開花。3年目の93年にはライトのレギュラーに定着し、この年から3年連続でオールスターにも出場した。96年からは鈴木尚典や佐伯貴弘らの台頭もあって出場機会が減少し、99年オフに再び戦力外通告を受け引退。現在はDeNAの球団職員を務めている。