私が雑誌記者として、野球をはじめとするスポーツの取材を始めたのは1975年頃のことだ。若者雑誌として人気のあった小学館の『GORO』や平凡出版(現・マガジンハウス)の『平凡パンチ』などの取材記者として活動を始めた。
そこでまず困ったのは、多くの関係者に野球やスポーツの「経験」を訊かれたことだった。ベテランの監督や選手などは「野球をやったことはあるのか?」とよく訊かれた。あるいは単刀直入に「どこの高校で野球をやってた?」と質問されたり、さらに「甲子園には出たのか?」と言われたことも何度かあった。「小学生の時、毎日のように草野球をやりました」と答えようものなら、鼻で笑われ、まったく相手にしてくれない監督や選手や解説者も少なくなかった。スワローズのT監督、ライオンズのH監督、ファイターズのO監督、解説者のB氏などが特に冷たかった記憶がある(笑)。
そんな「経験主義」は野球だけでなかった。そもそも新聞社の運動部の記者やスポーツ新聞の記者には、圧倒的に高レベルのスポーツ経験者が多く、スポーツ記者がアスリートを取材する時は、まるで先輩が後輩を呼びつけるような様相を呈するケースが多かった。私が初めて陸上競技の日本選手権を取材に行った80年頃は、記者席から優勝した選手を「おーい、こっちだぁ。こっちに来ーい!」と、呼びつける“先輩”、もとい記者が何人もいたのだ。ラグビーやサッカーの取材でも、記者会見で「あんなパスしちゃダメだ」とか「今日はちょっと気合い不足だったんじゃないか」などと、上から目線で話す記者も少なくなかった。
プロ野球の取材の場合は、いくら野球経験があっても記者はプロになれなかった人、相手はれっきとしたプロだから、「上から目線」の取材は存在しなかった。だが逆に、記者が選手に対して少々卑屈とも思えるようなへりくだった態度が見られた。「取材をお願いする」という態度になるのだ。
そんな中で、スポーツの経験も大したことなければスポーツ新聞記者の経験もなかった小生は、とにかくスポーツの勉強をすること、スポーツ関係・野球関係の本を片っ端から読破して知識を身に付けることを心がけると同時に、「服装をキチンとすること」を心掛けた。
それが功を奏したのは81年、藤田元司監督率いる読売ジャイアンツのグアムキャンプ取材だ。熱帯とあってほとんどの記者がTシャツ・短パン姿な中で、ひとり小生だけがポロシャツに夏用ブレザー、普通のズボン姿で記者団の中にいた。すると藤田監督が他の記者に向かって、「仕事なんだから、Tシャツと短パンはやめてくれよ。彼のようにキチンとした服装で来いよ。こっちも仕事をしてるんだから」と言われた。
ある記者が、「僕は中身で勝負してますから」と笑いながら反論すると、「俺はいちいち中身まで分からんのだよ。だから外見を整えてくれ」と藤田監督が言い返したのは見事で、ナルホドその通りだと納得した。
なんだか手前味噌の自慢話になってしまったが、私が取材のときの服装をキチンとするようになったのは、大先輩のスポーツ記者の佐瀬稔さんに言われたからだった。元報知新聞の記者で、40代からフリーランスのノンフィクション作家として大活躍された小生の師匠とも言える人物は、常々こう言っていた。
「マスコミの記者なんて、世の中で価値のあるものじゃない。作家のノーマン・メイラーはこう言ってる。記者は毛ジラミみたいなもんだ。男と女の最も大切な行為の最も近くにいながら、その最も大切な行為に何一つ関係してない。だからせめて、服装とか言葉遣いとか、日常の行いはキチンとするとを心掛けなきゃ……」
そこでまず困ったのは、多くの関係者に野球やスポーツの「経験」を訊かれたことだった。ベテランの監督や選手などは「野球をやったことはあるのか?」とよく訊かれた。あるいは単刀直入に「どこの高校で野球をやってた?」と質問されたり、さらに「甲子園には出たのか?」と言われたことも何度かあった。「小学生の時、毎日のように草野球をやりました」と答えようものなら、鼻で笑われ、まったく相手にしてくれない監督や選手や解説者も少なくなかった。スワローズのT監督、ライオンズのH監督、ファイターズのO監督、解説者のB氏などが特に冷たかった記憶がある(笑)。
そんな「経験主義」は野球だけでなかった。そもそも新聞社の運動部の記者やスポーツ新聞の記者には、圧倒的に高レベルのスポーツ経験者が多く、スポーツ記者がアスリートを取材する時は、まるで先輩が後輩を呼びつけるような様相を呈するケースが多かった。私が初めて陸上競技の日本選手権を取材に行った80年頃は、記者席から優勝した選手を「おーい、こっちだぁ。こっちに来ーい!」と、呼びつける“先輩”、もとい記者が何人もいたのだ。ラグビーやサッカーの取材でも、記者会見で「あんなパスしちゃダメだ」とか「今日はちょっと気合い不足だったんじゃないか」などと、上から目線で話す記者も少なくなかった。
プロ野球の取材の場合は、いくら野球経験があっても記者はプロになれなかった人、相手はれっきとしたプロだから、「上から目線」の取材は存在しなかった。だが逆に、記者が選手に対して少々卑屈とも思えるようなへりくだった態度が見られた。「取材をお願いする」という態度になるのだ。
そんな中で、スポーツの経験も大したことなければスポーツ新聞記者の経験もなかった小生は、とにかくスポーツの勉強をすること、スポーツ関係・野球関係の本を片っ端から読破して知識を身に付けることを心がけると同時に、「服装をキチンとすること」を心掛けた。
それが功を奏したのは81年、藤田元司監督率いる読売ジャイアンツのグアムキャンプ取材だ。熱帯とあってほとんどの記者がTシャツ・短パン姿な中で、ひとり小生だけがポロシャツに夏用ブレザー、普通のズボン姿で記者団の中にいた。すると藤田監督が他の記者に向かって、「仕事なんだから、Tシャツと短パンはやめてくれよ。彼のようにキチンとした服装で来いよ。こっちも仕事をしてるんだから」と言われた。
ある記者が、「僕は中身で勝負してますから」と笑いながら反論すると、「俺はいちいち中身まで分からんのだよ。だから外見を整えてくれ」と藤田監督が言い返したのは見事で、ナルホドその通りだと納得した。
なんだか手前味噌の自慢話になってしまったが、私が取材のときの服装をキチンとするようになったのは、大先輩のスポーツ記者の佐瀬稔さんに言われたからだった。元報知新聞の記者で、40代からフリーランスのノンフィクション作家として大活躍された小生の師匠とも言える人物は、常々こう言っていた。
「マスコミの記者なんて、世の中で価値のあるものじゃない。作家のノーマン・メイラーはこう言ってる。記者は毛ジラミみたいなもんだ。男と女の最も大切な行為の最も近くにいながら、その最も大切な行為に何一つ関係してない。だからせめて、服装とか言葉遣いとか、日常の行いはキチンとするとを心掛けなきゃ……」