それから12年後、13年の4月2日にはダルビッシュ有(テキサス・レンジャーズ)が一世一代の快投を演じた。当時メジャー最弱球団だったヒューストン・アストロズ相手とはいえ、この日のダルビッシュはスライダーが冴えまくり、カッターも非常に効果的だった。先頭打者ホセ・アルトゥーベの空振り三振に始まり、2回は三者三振、4回もすべて空振りで三者三振。8回まで14三振を奪いながら一人の走者も出さず、日本人投手初の完全試合まであと3人と迫った。
9回裏、先頭のジェイソン・カストロは遊ゴロ。続くカルロス・コーポランも二塁ゴロで、ついにあと1人。敵地ヒューストンの観客でさえもダルビッシュに大きな声援を送っていた。最後の打者はマーウィン・ゴンザレス。のちに大成したが、この時点ではまだ2年目の控え内野手で、無名の存在だった。だが、ダルビッシュが投じた初球、この試合111球目となる外角の速球をゴンザレスが打ち返すと、ボールはダルビッシュの股間を抜けセンター前へ転がっていった。苦笑いするしかないダルビッシュは拍手を浴びながらマウンドを降り、最後の打者はマイケル・カークマンが打ち取ってレンジャーズが7-0で勝った。 「あそこまで行ったら最後はアウトを取りたかった」と、試合後残念そうに語ったダルビッシュ。日本でも意外なことにノーヒッターの経験はなく、13年は8月12日のアストロズ戦でも7回までノーヒット(1四球)に抑えながら、8回一死からコーポランにホームランを打たれた。
14年5月9日のボストン・レッドソックス戦でも、9回二死からデビッド・オティーズに右前打を打たれノーヒッターを逃している(ただし試合後、7回のオティーズの失策出塁がヒットに変更されている)。14年を最後に完投すら1試合もないダルビッシュだが、いつかノーヒッターを成し遂げる日は来るのだろうか。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
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9回裏、先頭のジェイソン・カストロは遊ゴロ。続くカルロス・コーポランも二塁ゴロで、ついにあと1人。敵地ヒューストンの観客でさえもダルビッシュに大きな声援を送っていた。最後の打者はマーウィン・ゴンザレス。のちに大成したが、この時点ではまだ2年目の控え内野手で、無名の存在だった。だが、ダルビッシュが投じた初球、この試合111球目となる外角の速球をゴンザレスが打ち返すと、ボールはダルビッシュの股間を抜けセンター前へ転がっていった。苦笑いするしかないダルビッシュは拍手を浴びながらマウンドを降り、最後の打者はマイケル・カークマンが打ち取ってレンジャーズが7-0で勝った。 「あそこまで行ったら最後はアウトを取りたかった」と、試合後残念そうに語ったダルビッシュ。日本でも意外なことにノーヒッターの経験はなく、13年は8月12日のアストロズ戦でも7回までノーヒット(1四球)に抑えながら、8回一死からコーポランにホームランを打たれた。
14年5月9日のボストン・レッドソックス戦でも、9回二死からデビッド・オティーズに右前打を打たれノーヒッターを逃している(ただし試合後、7回のオティーズの失策出塁がヒットに変更されている)。14年を最後に完投すら1試合もないダルビッシュだが、いつかノーヒッターを成し遂げる日は来るのだろうか。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
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