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MLB

「父の死」だけが理由ではなかった…あれから27年、“バスケの神様”マイケル・ジョーダンのMLB挑戦を振り返る【前編】

出野哲也

2020.04.21

 93年7月に最愛の父ジェームズが強盗に遭って命を落とし、ジョーダンは非常に大きなショックを受けていた。「子供の頃、父は私に野球選手になってほしいと思っていた」とも語っていて、亡き父の夢を叶えるために転向したのだ、と受け止められていた。

 もちろんこれは大きな動機ではあったが、それだけではない。3年続けて頂点を極めたことで、バスケットボールは彼にとってスリルを味わえるものではなくなっていた。いわば燃え尽き状態だ。闘争心に再び火を付けるためには新たなチャレンジが必要であり、それが野球だった。すでに数年前から野球への転向を考えていたようで、93年に優勝を決めた直後には、個人トレーナーに野球用のトレーニングを開始しようと相談していた。父の死という悲劇がなくとも、あるいは野球を始めていたのかもしれない。
 
 迎えた94年のスプリング・トレーニング、球界はジョーダンの話題で持ちきりだった。彼が行くところはどこも人であふれかえり、多くのファンがスーパースターのゼロからの挑戦に声援を送った。

 とはいえ、好意的な声ばかりでなかったのも確かだ。実際にバットを振れば不格好なスウィングで、外野フライを追いかける姿も素人丸出しだった。「あのバットスピードで打てるわけがない」と嘲笑する声が飛び交い、腕も脚も長すぎて「野球選手向きの身体つきではない」とは本人も認めていた。

“エアー・ジョーダン”と称された驚異的なジャンプ力は、野球ではそれほど必要な場面はなく、逆にホームランを打つためのパワーを生み出す下半身のボリュームに欠けていた。『スポーツ・イラストレイテッド』誌は「ジョーダンとホワイトソックスは球界の面汚し」と書き立て、同誌はその後長い間ジョーダンに取材を拒否された。
 

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