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MLB

「父の死」だけが理由ではなかった…あれから27年、“バスケの神様”マイケル・ジョーダンのMLB挑戦を振り返る【前編】

出野哲也

2020.04.21

「よそ者」が注目を集めるのを苦々しく思ったり、嫉妬したりする者もいた。引退したばかりのロイヤルズの名打者ジョージ・ブレットは「成功してほしくないと思っている人間は少なくないだろう。そんなに簡単に打てたら、打者は面目を潰されるからな」と語り、某球団の監督は「15年も野球をしていなかったヤツのせいで、ロースターから外される選手が出たらどうするんだ」と憤った。

 もっとも、その心配はなかった。オープン戦での成績は46打数7安打、打率.152と惨憺たるもので、メジャーのロースターにはとても入れられなかった。開幕を2Aのバーミンガム・バロンズで迎えることが決まると、バロンズのシーズンチケットはたちまち売り切れ、関連グッズも次々に品切れ状態となった。

 マイナーリーグでのデビュー前日である4月7日には、毎年恒例だったリグリー・フィールドでのカブスとのエキシビジョン・ゲームに出場。高校時代と同じ背番号45のユニフォームで、2本のヒットを放って2打点を挙げ、3万5000人の観客から盛大な拍手を送られた。
 
 一挙手一投足が大きな注目を集める中、ジョーダン自身は浮かれることなく謙虚な姿勢を保っていた。「誰もが知っている有名人として振舞おうとはしていなかった。あくまでチームの一員という姿勢だったから、俺たちにもすぐに受け入れられた」とホワイトソックスの遊撃手オジー・ギーエンは語っている。

 その姿勢はマイナーリーグでも変わらなかった。当初は相手投手が速球ばかり投げてきたので打率は3割を超えていたが、一転して変化球攻めに遭うと数字は急降下した。それでも「失敗は恐れない。挑戦をしないことのほうが嫌なんだ」と練習に取り組み続けた。

 打撃コーチのマイク・バーネットは「1日に5回も打撃練習をしていた。朝食前にケージで打ち込み、通常の練習をした後にはトスバッティング。試合前、そして試合後ももう一度ケージに入っていた。手は肉刺だらけで血まみれだった」と回想している。
 

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