一方、日本は初戦で先発した池田陽佑(智弁和歌山高)は、スーパーラウンドの韓国戦の延長戦まで出番がなかった。2戦目の先発・浅田も、スーパーラウンドのオーストラリア戦まで登板していない。
逆に西純矢(創志学園高)は3連投を含む4試合に登板、チームトップの13.1イニングを投げている。ちなみに、先発を含んだ3連投をしたのは今大会では西だけだ。救援あり、先発あり、野手としてのスタメン出場ありという、いい言葉で言えば獅子奮迅の活躍を見せた。3試合に登板した宮城大弥(興南高)は、台湾戦でリリーフ登板した翌日のアメリカ戦に先発した。
そこには、各投手の登板スケジュールについてのケアは感じられなかった。とにかく目の前の勝利を拾っていこうという算段が、そうした事態を招いた。
本来、軸となるはずの佐々木朗希(大船渡高)、奥川恭伸(星稜高)の状態が思わしくなかったことは確かに誤算だった。軌道修正を強いられた永田監督は、西と宮城の状態の良さを確認し、彼らの優先順位を高くしたはずだ。
しかし、そこで永田監督が選んだのは、彼らが最高のパフォーマンスを出せるような環境づくりではなく、球数制限内でフル回転させることだった。
つまり、このルールが存在していることの本質を理解していないのだ。
今大会のルールだと、50球以内で連投は可能だ。50球以上を投げても、104球以内なら中1日で投げることはできる。しかし、球数制限のルールは選手を守るために作られたものであり、そこを一番のプライオリティにすべきだ。 日本代表の投手起用は、いつ、どんなことが起こっても誰でも使える状況を作って備えようとするものだった。言い換えれば、選手を「駒」のようにしか考えていないということである。
その象徴が、先発投手を試合当日か前日に伝える慣行にある。
韓国戦では西と宮城を積極的に使って勝つことができず、継投策が行き詰まったところで、延長戦から林優樹(近江高)、池田を起用した。
しかし、その起用は使われる側からすると、いつ出番があるか分からない状況で回ってきたもので、決してベストのパフォーマンスを発揮する環境ではなかったのだ。
オーストラリア戦で先発した浅田についても同じことが言える。多投を強いられた投手たちにしても、登板間隔が空いた投手にしても、彼らの持ち味が発揮できることが難しい状況に陥っていたのだ。
オーストラリア戦では、2番手の前佑囲斗(津田学園高)に加え、前日に引き続いて登板した池田も好投を見せた。佐々木、宮城、西が登板不可能となり、出番があることを分かっていたから結果も伴ったのだろう。もともと、力のある選手たちの集まりなのだ。環境を用意すれば、持ち味を発揮することができる選手たちだった。
しかし、それを日本代表のスタッフは怠った。
先発を目前に伝える。
この慣行に、日本の高校野球界が抱えている問題がある。
選手たちはそれぞれ一人の投手であり、人間である。
高校野球の指導者全体が考えるべきことのように思えた。
文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。
逆に西純矢(創志学園高)は3連投を含む4試合に登板、チームトップの13.1イニングを投げている。ちなみに、先発を含んだ3連投をしたのは今大会では西だけだ。救援あり、先発あり、野手としてのスタメン出場ありという、いい言葉で言えば獅子奮迅の活躍を見せた。3試合に登板した宮城大弥(興南高)は、台湾戦でリリーフ登板した翌日のアメリカ戦に先発した。
そこには、各投手の登板スケジュールについてのケアは感じられなかった。とにかく目の前の勝利を拾っていこうという算段が、そうした事態を招いた。
本来、軸となるはずの佐々木朗希(大船渡高)、奥川恭伸(星稜高)の状態が思わしくなかったことは確かに誤算だった。軌道修正を強いられた永田監督は、西と宮城の状態の良さを確認し、彼らの優先順位を高くしたはずだ。
しかし、そこで永田監督が選んだのは、彼らが最高のパフォーマンスを出せるような環境づくりではなく、球数制限内でフル回転させることだった。
つまり、このルールが存在していることの本質を理解していないのだ。
今大会のルールだと、50球以内で連投は可能だ。50球以上を投げても、104球以内なら中1日で投げることはできる。しかし、球数制限のルールは選手を守るために作られたものであり、そこを一番のプライオリティにすべきだ。 日本代表の投手起用は、いつ、どんなことが起こっても誰でも使える状況を作って備えようとするものだった。言い換えれば、選手を「駒」のようにしか考えていないということである。
その象徴が、先発投手を試合当日か前日に伝える慣行にある。
韓国戦では西と宮城を積極的に使って勝つことができず、継投策が行き詰まったところで、延長戦から林優樹(近江高)、池田を起用した。
しかし、その起用は使われる側からすると、いつ出番があるか分からない状況で回ってきたもので、決してベストのパフォーマンスを発揮する環境ではなかったのだ。
オーストラリア戦で先発した浅田についても同じことが言える。多投を強いられた投手たちにしても、登板間隔が空いた投手にしても、彼らの持ち味が発揮できることが難しい状況に陥っていたのだ。
オーストラリア戦では、2番手の前佑囲斗(津田学園高)に加え、前日に引き続いて登板した池田も好投を見せた。佐々木、宮城、西が登板不可能となり、出番があることを分かっていたから結果も伴ったのだろう。もともと、力のある選手たちの集まりなのだ。環境を用意すれば、持ち味を発揮することができる選手たちだった。
しかし、それを日本代表のスタッフは怠った。
先発を目前に伝える。
この慣行に、日本の高校野球界が抱えている問題がある。
選手たちはそれぞれ一人の投手であり、人間である。
高校野球の指導者全体が考えるべきことのように思えた。
文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。