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高校野球

実家が観光名所に?名前が流行?飛ぶように売れたハンカチ――"甲子園のアイドル"たち

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2020.08.08

▼定岡正二(鹿児島実業高)
出場:73年夏、74年夏
 2年生だった73年夏にも甲子園に出場しているが、出番はわずか1打席のみで、この時はほとんど注目されなかった。人気が爆発したのは3年夏。特に準々決勝では、原貢・辰徳の“親子鷹”で話題となっていた東海大相模戦で延長15回を投げ抜き、214球で完投勝利を演じた。しかし、準決勝の防府商戦でクロスプレーの際に利き腕の右手首を負傷。降板を余儀なくされ、チームもサヨナラ負けで号泣した定岡を、世間はやはり“悲劇のヒーロー”として持て囃した。実家には1万通以上のファンレターが届き、電話が鳴りやまないので電話線を抜いてしまったという。また、観光バスツアーの行き先にも定岡の実家が含まれていたという逸話も残っている。
 
▼坂本佳一(東邦高)
出場:77年夏
 軟式野球出身で、中学時代は外野手。にもかかわらず硬球を初めて握ってわずか数ヵ月で名門・東邦の1年生エースとなり、夏の甲子園出場を果たした天才だった。あどけない顔つきと、華奢な体躯から愛称は“バンビ”。だが、伸びのある速球といくつもの変化球を抜群のコントロールで操り、決勝進出の原動力となった。東洋大姫路高との決勝戦は、1対1のまま延長戦に突入したが、10回にサヨナラ本塁打を浴びて敗戦。サヨナラ弾で決勝が決着したのは大会史上唯一である。他の選手が涙を流す中で一人涙をこらえていた坂本だが、その後は二度と甲子園の土を踏むことができなかった。高校卒業後は法政大、日本鋼管(現JFEエンジニアリング)に進んで野球を続けたが、プロ入りはしていない。
 

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