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MLB

大谷も未到達の「通算10勝&70本塁打」を成し遂げた“早すぎた二刀流”リック・アンキールの波乱のキャリア<SLUGGER>

出野哲也

2021.05.31


 アンキールが陥っていたのは、身体的な故障がないにもかかわらず、意図した通りの動きができなくなるイップスであった。翌年になっても症状は改善されることなく、6試合で防御率7.13、24イニングで25四球を献上。心理療法や呼吸法をはじめ、あらゆる方法を試しても改善されなかった。「ヒジの手術なら経験者が相談相手になってくれる。だけどイップスのことは誰も話をしたがらないし、そもそも解決方法がない」とアンキールは当時の苦しさを振り返っている。

 また、アスリートが心理的な要因で弱みを見せることを良しとしない風潮も、事態を難しくしていた。また、問題の根本には麻薬の密売に関わって懲役6年の刑を受けた父親との関係もあったのではないか、と推測する向きもあった。アンキールに野球の手ほどきをしたのもこの父だったが、高校時代は客席から一球一球サインを出し、審判と頻繁に衝突。ドラッグや酒に溺れ、家ではDVを繰り返すモンスター・ペアレントだった。

 02年はトミー・ジョン手術で全休し、04年にメジャーへ戻ってきたが5試合投げただけ。翌05年のキャンプ中、アンキールは一度は引退を決意した。しかし、代理人のスコット・ボラスに説得され、打者としての再出発を切る。06年はヒザの故障でまたも全休したが、07年に3Aで32本塁打を放ち、8月に4年ぶりのメジャー再昇格を果たす。
 

 野手としてのデビュー戦となった8月9日のパドレス戦、アンキールは第4打席で本塁打を放つ。本拠地ブッシュ・スタジアムに詰めかけた4万2848人のファンからの大歓声は次の打者が打席に入っても歓声は鳴りやまず、アンキールはダグアウトから出てカーテンコールに応えた。

 この年は47試合で11本塁打。翌08年は25本塁打を放ち、守備でも元剛腕投手らしい強烈なスローイングで観衆を沸かせるなど、アンキールは「野手」として見事な復活を遂げた。野手転向後の7年間で74本塁打、投手時代を含め通算76本。これも、投手として2ケタ勝利を挙げた経験のある選手ではルースに次ぐ数字である。

 13年を最後に現役を引退。18年夏には元メジャーリーガーの集結した野球大会でマウンドに立って、89マイルの速球を投じた。これに気を良くして投手としてのカムバックを目指したが、実現することはなかった。

「体力的には、投手と野手は両方できたと思う」と言うアンキールは、大谷にも次のようなエールを送っている。「サイ・ヤング賞と年間67本塁打を達成してもらいたいと思っている。彼が活躍してくれればくれるほど、私にも注目が集まるのだから(笑)」。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
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