早稲田大の4年間で斎藤のピッチングを見たのは9試合。厳密に決めていたわけではないが、1シーズンに1回程度は見ていた計算となる。リーグ戦の成績を見てみると、2年秋の7勝1敗、防御率0.83というのがベストだが、自分の中でも2年の時が最もボールの勢いが感じられたという印象だ。
数字だけ見ると4年秋に自己最速となる150キロをマークしているが、その映像を見ても正直誤計測ではないかというほどボールの勢いは感じられなかった。大学2年に股関節を故障したことが原因と言われているが、同級生の大石達也(元西武)の存在もあって、ストレートに関しては常に物足りなさを感じていたのは事実である。その一方で鋭く落ちるフォークや変化球の精度は高校と比べてレベルアップしていたことは間違いない。チームメイトに恵まれたということもあるが、東京六大学で31勝、323奪三振という実績はやはりドラフト1位に相応しいものだったと言えるだろう。
プロで苦しんだ原因としては故障もあるが、それ以上に大きかったのはピッチングスタイルが確立できなかったことではないだろうか。大学ではどちらかというと技巧的な投球が持ち味となっていたが、周囲が求めるのは高校3年夏のストレートで圧倒するピッチングであり、斎藤もその期待に応えようとしていた部分も大きかったはずだ。
甲子園で放った光が強すぎたことによって、斎藤の投球スタイルを狭めてしまったとも言えるだろう。仮に高校からプロ入りしていたとしても、田中のようにすぐにプロの一軍で通用した可能性は低く、同じように投球スタイルの問題にはぶつかったはずである。それを考えるとプロ入りの時期が違っても成績は大きく変わることはなかったのではないだろうか。
ただそれでも甲子園と東京六大学で残した実績は決して色褪せるものではない。斎藤をきっかけに高校野球、大学野球に興味を持った選手、ファンも多いだろう。今後については分からないが、これまでの経験をプロアマ問わず広く野球界に生かすような活躍をしてくれることを期待したい。
文●西尾典文
【著者プロフィール】
にしお・のりふみ。1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。アマチュア野球を中心に年間約300試合を取材。2017年からはスカイAのドラフト中継で解説も務め、noteでの「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも多くの選手やデータを発信している。
数字だけ見ると4年秋に自己最速となる150キロをマークしているが、その映像を見ても正直誤計測ではないかというほどボールの勢いは感じられなかった。大学2年に股関節を故障したことが原因と言われているが、同級生の大石達也(元西武)の存在もあって、ストレートに関しては常に物足りなさを感じていたのは事実である。その一方で鋭く落ちるフォークや変化球の精度は高校と比べてレベルアップしていたことは間違いない。チームメイトに恵まれたということもあるが、東京六大学で31勝、323奪三振という実績はやはりドラフト1位に相応しいものだったと言えるだろう。
プロで苦しんだ原因としては故障もあるが、それ以上に大きかったのはピッチングスタイルが確立できなかったことではないだろうか。大学ではどちらかというと技巧的な投球が持ち味となっていたが、周囲が求めるのは高校3年夏のストレートで圧倒するピッチングであり、斎藤もその期待に応えようとしていた部分も大きかったはずだ。
甲子園で放った光が強すぎたことによって、斎藤の投球スタイルを狭めてしまったとも言えるだろう。仮に高校からプロ入りしていたとしても、田中のようにすぐにプロの一軍で通用した可能性は低く、同じように投球スタイルの問題にはぶつかったはずである。それを考えるとプロ入りの時期が違っても成績は大きく変わることはなかったのではないだろうか。
ただそれでも甲子園と東京六大学で残した実績は決して色褪せるものではない。斎藤をきっかけに高校野球、大学野球に興味を持った選手、ファンも多いだろう。今後については分からないが、これまでの経験をプロアマ問わず広く野球界に生かすような活躍をしてくれることを期待したい。
文●西尾典文
【著者プロフィール】
にしお・のりふみ。1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。アマチュア野球を中心に年間約300試合を取材。2017年からはスカイAのドラフト中継で解説も務め、noteでの「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも多くの選手やデータを発信している。