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プロ野球

故障に泣かされ続けたDeNA齋藤俊介。底抜けの明るさの影にあった壮絶なプロ生活、そして第2の人生への想い

萩原孝弘

2021.12.30

 齋藤が再びマウンドに立つことは叶わなかった。だが、本人はこう振り返る。

「結果的には手術をしても復帰までは至ることはできませんでしたが、入団してから練習はもちろんのこと、アップもトレーニングもケアも自分なりに必死にやりました。球団には無理を言って手術もさせてもらえました。トレーナーさんは怪我ばかりの僕をイヤな顔せず必死にサポートしてくれました。それでもダメだった。本当にやることはやった。本当に悔いはなかったし、周りの方々には本当に感謝しかないです」

 心残りは皆無だ。10月5日、横浜スタジアムへチームメイトに最後の挨拶をしにスーツで姿を見せた。「寂しさを隠したくて明るく振る舞っていたら、それを察したチームのみんなが『アップ入っちゃいなよー!』と誘ってくれた。試合前の大事なアップであったはずなのに誘ってくれて、なおかつそれを許す雰囲気を作ってくれたことが本当に嬉しかった。みんなのおかげで最後まで自分らしくいることができた」と、選手とともに激走。“らしい”ラストで笑顔の花を咲かし、爽やかにグラウンドを後にした。
 
 第二の人生はファームのサブマネージャーとして再出発することが決まった。「引退する時は球団スタッフ以外の道も含めて考えていましたが、このチームの雰囲気や『齋藤に残ってほしい』と言ってくださった球団、何よりこのチームがとても好きなんです。球団から提示していただいたマネージャーという仕事もとても魅力を感じ、精一杯努めさせてほしいと返事をさせていただいた」と決意する。

「マネージャーはもちろん簡単な仕事ではないです。ただ、僕はこの4年間、年齢やポジション関係なくいろんな選手と仲良くコミュニケーションを取ってきた。そういった面からもマネージャーという仕事は僕の選手としての4年間も仕事に生かすことができる。若手やベテラン、いろんな選手がいるが言葉だけでなく人として本当に信頼してもらえるマネージャーになり、チームの勝利の一因に少しでもなりたいですね」

 さらに「どんな時でも『さいとうはん』と、いつも声をかけてくださったファンの方々のおかげでどんなに辛くても苦しくても踏ん張ることができました。応援の力の偉大さを改めて感じることができました。本当に周りの方々に助けられ支えられてできた幸せな野球人生でした。本当にありがとうございました!」と最大限の感謝を示した。

 怪我、そして希望に満ちた煌めいた瞬間。そして再び付きまとった怪我……誰よりも明るい言動の裏には、壮絶な戦いがあった。順風満帆にはいかなかったプロ野球生活だったが、その経験を財産に、ベイスターズを裏から勝利に導いていく。

●写真・取材・文 / 萩原孝弘
 

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