竹内は堀井現監督の前任である大久保秀昭監督(現ENEOS監督)の在任時である2019年春に、林卓史助監督(現・朝日大学准教授)の退任に伴い、後任として母校の野球部にふたたび籍を置いた。
大学野球における助監督の仕事とは――。ざっくり聞いてみると、これがなかなか難問らしく、「実体が見えにくい仕事ですよね。マニュアル的なものがあるわけでもなく、契約書があるわけでもない」と困惑したように言う。裏を返せば、自分の仕事を自分で考え、作っていく。そういう意味では、打撃、守備、走塁と専門分野のあるコーチ職よりも、感性が必要とされる役職なのかもしれない。
本人いわく「何から始めようか、というところまでもまだ行っていなかった」と振り返る真っ白なスタート。当時を知る今の4年生から、「入ってきた時、この人、何もしない人だなと思ってました」と言われたことがある。自分でも「本当に何もしていなかったんで」と自覚している。
就任時、大久保監督からは「こういうことをしてほしい」という具体的な指示はなく、「自分の経験を伝えてくれればいいよ」と言われていた。それでも一歩目が踏み出せず、ヒントを求めて、前任の林に相談に行ったこともある。「大久保監督は任せてくれる人なので、自由にやっていいと思うよ」とアドバイスされた。
竹内は「なおさらパニックになりました」と苦笑する。最後は「ありのままにやるしかないのかな」と思いながらの見切り発車。OBとはいえ、自身の現役時代とは、人も、チームの文化も、そして野球も変わっている。まずは選手や組織を把握することからだった。
竹内が観(見)た慶大は、どんな組織で、どんな強さを持っていたのか?
「ひとことで言えば“組織力”ということになるのでしょうか。監督を中心とし、選手、マネージャー、学生スタッフと、チーム全体がまとまって意思決定をしていく。そういう力は抜群に高いと感じましたね」
そんな組織で、「自分が何をやるかよりも、まずチームの困り事を解決していくことに重きを置いてやっていこう」という考えに至る。気が付くと、“よろず相談窓口”のような存在になっていた。
仕事の進め方のノウハウは、社会人時代の経験が活かされた。トヨタ自動車では野球中心の生活とはいえ、所属は人事部。本社内の現場に勤務する社員の教育を担当する部署に配属されていた。社会人としての人材育成、人間教育を最前線で司る職場で、学び取ったものは多かった。
会社でも、野球部でも、高校を卒業したばかりの二十歳前後の若者たちの面倒を見る立場にいた。だからこそ大学生のカルチャーにもさほど戸惑いはない。ただ、慶大独特の空気に対して違和感を覚えた。
竹内は「いわゆる“高校野球”をやってきた子が少ないんです」と指摘する。
「もともと自己管理能力があるし、野球の技術面についてもきちんと指導されてきています。ただ、“高校野球の形”とか“部活動の常識”みたいなものってありますよね。例えば、上下関係とか礼儀とか。そういうことをビシッとやっているような高校から来ているわけじゃないんで。グラウンドで野球をするのは同世代でも、野球部員として年配のOBの方と接する機会もある。そしたら自分の基準だけでは通用しないことも出て来ます。
見ていると、組織内での他者との関わり方とか、今よりもより良い環境にしていくために自分がどう動くべきか、というような感覚がちょっと鈍い気がします。でも、1から10まで管理して細かく言うのは僕も好きではないので、最低限必要なことだけ言うようにしていました」
大学野球における助監督の仕事とは――。ざっくり聞いてみると、これがなかなか難問らしく、「実体が見えにくい仕事ですよね。マニュアル的なものがあるわけでもなく、契約書があるわけでもない」と困惑したように言う。裏を返せば、自分の仕事を自分で考え、作っていく。そういう意味では、打撃、守備、走塁と専門分野のあるコーチ職よりも、感性が必要とされる役職なのかもしれない。
本人いわく「何から始めようか、というところまでもまだ行っていなかった」と振り返る真っ白なスタート。当時を知る今の4年生から、「入ってきた時、この人、何もしない人だなと思ってました」と言われたことがある。自分でも「本当に何もしていなかったんで」と自覚している。
就任時、大久保監督からは「こういうことをしてほしい」という具体的な指示はなく、「自分の経験を伝えてくれればいいよ」と言われていた。それでも一歩目が踏み出せず、ヒントを求めて、前任の林に相談に行ったこともある。「大久保監督は任せてくれる人なので、自由にやっていいと思うよ」とアドバイスされた。
竹内は「なおさらパニックになりました」と苦笑する。最後は「ありのままにやるしかないのかな」と思いながらの見切り発車。OBとはいえ、自身の現役時代とは、人も、チームの文化も、そして野球も変わっている。まずは選手や組織を把握することからだった。
竹内が観(見)た慶大は、どんな組織で、どんな強さを持っていたのか?
「ひとことで言えば“組織力”ということになるのでしょうか。監督を中心とし、選手、マネージャー、学生スタッフと、チーム全体がまとまって意思決定をしていく。そういう力は抜群に高いと感じましたね」
そんな組織で、「自分が何をやるかよりも、まずチームの困り事を解決していくことに重きを置いてやっていこう」という考えに至る。気が付くと、“よろず相談窓口”のような存在になっていた。
仕事の進め方のノウハウは、社会人時代の経験が活かされた。トヨタ自動車では野球中心の生活とはいえ、所属は人事部。本社内の現場に勤務する社員の教育を担当する部署に配属されていた。社会人としての人材育成、人間教育を最前線で司る職場で、学び取ったものは多かった。
会社でも、野球部でも、高校を卒業したばかりの二十歳前後の若者たちの面倒を見る立場にいた。だからこそ大学生のカルチャーにもさほど戸惑いはない。ただ、慶大独特の空気に対して違和感を覚えた。
竹内は「いわゆる“高校野球”をやってきた子が少ないんです」と指摘する。
「もともと自己管理能力があるし、野球の技術面についてもきちんと指導されてきています。ただ、“高校野球の形”とか“部活動の常識”みたいなものってありますよね。例えば、上下関係とか礼儀とか。そういうことをビシッとやっているような高校から来ているわけじゃないんで。グラウンドで野球をするのは同世代でも、野球部員として年配のOBの方と接する機会もある。そしたら自分の基準だけでは通用しないことも出て来ます。
見ていると、組織内での他者との関わり方とか、今よりもより良い環境にしていくために自分がどう動くべきか、というような感覚がちょっと鈍い気がします。でも、1から10まで管理して細かく言うのは僕も好きではないので、最低限必要なことだけ言うようにしていました」