福井も同じことを話している。
「普通、監督さんというのは、僕らから見たら父親くらい年齢の離れた方がほとんどじゃないですか。でも竹内さんは、指導者としては年齢がかなり自分たちに近かった。もちろんそこでの良し悪しもあるとは思いますが、こちらから話しかけたり、細かなコミュニケーションは取りやすかった気がします」
竹内自身、投手に関しては自分の待ち場という意識があった。日常の練習から投手陣を管理し、状況に応じて指導も行なう。試合になれば、監督の継投のプランに合わせて投手を準備させていく。
そこで気になるのは、試合中の居場所だ。就任当初、大久保監督に「どうすればいいですか?」と訊ねると、「基本、ブルペンにいてくれたらいいよ」と答が返ってきた。前任の林助監督もそうだったという。
リーグ戦では神宮球場の外野にあるブルペンに詰め、ピッチングする各投手の状態を見ては、イニングの合間などにベンチに行って大久保監督に報告する。
堀井監督になってからは、動きが逆になった。最初は同じようにブルペンに詰めていたが、その後、二人で話をするなかで、「大人が近くにいてくれたら相談できるから、基本的にはベンチにいてもらえると助かる」と言われた。
それからは通常はベンチで監督の近くにいて、何かあった時にブルペンに向かい、ベンチからの指示を伝えたり、登板予定の投手の状態を確認したりするようになった。
求められれば自分の意見を言う。堀井監督からは「俺に合わせて発言する必要はないから。自分の思ったことをそのまま伝えてくれ」と言われていた。
「ここは交代かな? それとも続投か?」「継投なら誰がいい?」
監督がパッと聞いてくる。必ずしも監督と意見が一致するわけではない。「交代しようか?」と問われ、「いや、続投させましょう」と答えることもあった。
最終決定者が監督なのは言うまでもない。だから、そこで出された決定については全面的に尊重して選手に伝える。竹内はそのバランスだけは絶対に崩さないように自分を律していた。明確な上下関係は大前提だった。
竹内は助監督としての立ち位置についてこう言う。
「監督がいて、選手がいて、僕のポジションは監督寄りになる時もあれば選手寄りになることもある。ただ、選手と監督の間に僕がいるという、その一直線の中で行き来していなくてはいけない、ということは常に思っていました」
大久保秀昭と堀井哲也。タイプは違うが、どちらもアマチュア野球を代表する名将だ。この二人の下で働けたことは、竹内にとって幸運だった。どちらもチームを勝利に導くことに長けた監督だが、それぞれタイプが違う。それを称して「大久保監督は“プロデューサー”的。堀井監督は“エンジニア”的」と表現する人もいる。
普段は「お前らの好きにやっていいぞ」と選手たちの自主性にある程度任せ、「最後にまとめるのは俺だから。試合になったら上手く使ってやるから」というのが大久保監督。方向性をしっかり示しておいて、そこに向かう過程にはある程度の遊びも作らせてくれ、最終的には監督がきっちり一つに束ねて試合に入っていく。そういう意味では、プロデューサー的だ。
一方、堀井監督は、技術、体力、人間性と、選手と膝を突き合わせ、一から丁寧に説明し、選手一人一人を作り上げていく作業に時間を掛ける。その振る舞いは、頭の中に完成した図面があるかのようにも見える。だからエンジニア的なのだ。そして作り上げた選手たちを、試合では「パフォーマンスを発揮するのは、お前たちが好きなようにやればいい」と送り出す。
二人に共通しているのは、勝つことへの情熱。その熱量は、竹内も「とても足元にも及びません」と脱帽するしかなかった。
―――第2章へ続く―――
取材・文●矢崎良一
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「普通、監督さんというのは、僕らから見たら父親くらい年齢の離れた方がほとんどじゃないですか。でも竹内さんは、指導者としては年齢がかなり自分たちに近かった。もちろんそこでの良し悪しもあるとは思いますが、こちらから話しかけたり、細かなコミュニケーションは取りやすかった気がします」
竹内自身、投手に関しては自分の待ち場という意識があった。日常の練習から投手陣を管理し、状況に応じて指導も行なう。試合になれば、監督の継投のプランに合わせて投手を準備させていく。
そこで気になるのは、試合中の居場所だ。就任当初、大久保監督に「どうすればいいですか?」と訊ねると、「基本、ブルペンにいてくれたらいいよ」と答が返ってきた。前任の林助監督もそうだったという。
リーグ戦では神宮球場の外野にあるブルペンに詰め、ピッチングする各投手の状態を見ては、イニングの合間などにベンチに行って大久保監督に報告する。
堀井監督になってからは、動きが逆になった。最初は同じようにブルペンに詰めていたが、その後、二人で話をするなかで、「大人が近くにいてくれたら相談できるから、基本的にはベンチにいてもらえると助かる」と言われた。
それからは通常はベンチで監督の近くにいて、何かあった時にブルペンに向かい、ベンチからの指示を伝えたり、登板予定の投手の状態を確認したりするようになった。
求められれば自分の意見を言う。堀井監督からは「俺に合わせて発言する必要はないから。自分の思ったことをそのまま伝えてくれ」と言われていた。
「ここは交代かな? それとも続投か?」「継投なら誰がいい?」
監督がパッと聞いてくる。必ずしも監督と意見が一致するわけではない。「交代しようか?」と問われ、「いや、続投させましょう」と答えることもあった。
最終決定者が監督なのは言うまでもない。だから、そこで出された決定については全面的に尊重して選手に伝える。竹内はそのバランスだけは絶対に崩さないように自分を律していた。明確な上下関係は大前提だった。
竹内は助監督としての立ち位置についてこう言う。
「監督がいて、選手がいて、僕のポジションは監督寄りになる時もあれば選手寄りになることもある。ただ、選手と監督の間に僕がいるという、その一直線の中で行き来していなくてはいけない、ということは常に思っていました」
大久保秀昭と堀井哲也。タイプは違うが、どちらもアマチュア野球を代表する名将だ。この二人の下で働けたことは、竹内にとって幸運だった。どちらもチームを勝利に導くことに長けた監督だが、それぞれタイプが違う。それを称して「大久保監督は“プロデューサー”的。堀井監督は“エンジニア”的」と表現する人もいる。
普段は「お前らの好きにやっていいぞ」と選手たちの自主性にある程度任せ、「最後にまとめるのは俺だから。試合になったら上手く使ってやるから」というのが大久保監督。方向性をしっかり示しておいて、そこに向かう過程にはある程度の遊びも作らせてくれ、最終的には監督がきっちり一つに束ねて試合に入っていく。そういう意味では、プロデューサー的だ。
一方、堀井監督は、技術、体力、人間性と、選手と膝を突き合わせ、一から丁寧に説明し、選手一人一人を作り上げていく作業に時間を掛ける。その振る舞いは、頭の中に完成した図面があるかのようにも見える。だからエンジニア的なのだ。そして作り上げた選手たちを、試合では「パフォーマンスを発揮するのは、お前たちが好きなようにやればいい」と送り出す。
二人に共通しているのは、勝つことへの情熱。その熱量は、竹内も「とても足元にも及びません」と脱帽するしかなかった。
―――第2章へ続く―――
取材・文●矢崎良一
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