在任2年目の2020年春、堀井哲也監督が就任する。堀井は前任者の大久保とは対照的に、竹内に職務、職域を明確に示す人だった。
堀井はよく「監督、助監督含め、指導者の仕事は、部員たちの環境を作ること。環境整備にある」と口にした。それは、150人を超える全部員を対象にした安全管理、生活指導、栄養(食事)管理といった日常的な活動の土台になる部分から始まり、グラウンドでの技術指導に至るまで、すべての責任を助監督も担っているということだ。
だからこそ、監督が何をしているのか、しようとしているのかを、助監督は常に把握しておく必要がある。たとえ濃度は違っても、監督と同じだけの仕事の幅がないと、務まる任務ではない。
それでいながら、微妙な居心地の悪さを感じることもあった。
「助監督にだけ連絡が回っていなくて、全体が他の動きをしていたなんてことは日常茶飯事です」
竹内は苦笑しながらそう言う。べつに意地悪をされたわけではない。
部員たちは、基本的に部内の連絡ツールとしてLINEを活用している。学生側からの発信の場合、監督にはマネージャーから連絡が行く。だが、助監督への連絡は、監督からなのか、学生からなのか、明確な連絡網が存在しなかった。
そのため、チームのスケジュール変更や集合時間を、竹内だけが知らなかったことがよくあった。チームに来客がある時も、本来それは監督とマネージャーがわかっていればいいことで、一般の部員たちまでは細かく伝達されていないのが普通なのだが、竹内も同じようにそれを知らず、グラウンドに来てから気付いて、慌てて挨拶に行くこともあった。
では、選手たちは、助監督という立場をどんなふうに理解し、竹内をどんな思いで見ていたのか。
昨年のチームで主将を務めた福井章吾は、「監督がいろんな場所で何か話されたりする時、竹内さんは必ずそれをノートに取っておられました。空き時間に、いろんな本を読んでいる姿もよく見ました。僕ら選手からの質問に対して、きちんと答えられるようにしたかったんだと思います」と振り返る。
そして「僕のなかでは、助監督というよりバッテリーコーチのような存在でした」と言う。
ちょうど交代の時期とかぶったため、福井は4年間で、大久保監督と堀井監督、林助監督と竹内助監督、それぞれの指導を受けている。監督2人はともに野手出身(大久保は捕手)。それも、林、竹内と投手出身の2人が助監督に招聘された理由と言われている。実際に大久保は、「俺は野手出身なので、野手は教えられるけど、ピッチャーは難しいな」と竹内に漏らしたこともあった。
3年生の増居翔太(彦根東卒)は、竹内の就任とともに入学してきた。早くから公式戦で起用され、同じ左投手ということもあって、「現役部員のなかで、竹内さんといちばん話をしているのは僕なのでは」と口にする。
増居は助監督としての竹内の仕事ぶりをこんなふうに見ていた。
「たしかに投手の感覚というのは、野手の人にはわかりにくいところがあると思います。竹内さんは、(野手出身の)監督が言った言葉を、僕らピッチャーにわかる言語に変換して伝えてくれるのが役割だった気がします。
逆もまた然りで、僕らが監督に対して意見がある時にも、上手く変換してから上げてくれていたはずです。現役をあがってからそんなに時間も経っておらず、感覚的にも現役に近かったので、僕らの言うことも理解しやすかったのではないでしょうか」
堀井はよく「監督、助監督含め、指導者の仕事は、部員たちの環境を作ること。環境整備にある」と口にした。それは、150人を超える全部員を対象にした安全管理、生活指導、栄養(食事)管理といった日常的な活動の土台になる部分から始まり、グラウンドでの技術指導に至るまで、すべての責任を助監督も担っているということだ。
だからこそ、監督が何をしているのか、しようとしているのかを、助監督は常に把握しておく必要がある。たとえ濃度は違っても、監督と同じだけの仕事の幅がないと、務まる任務ではない。
それでいながら、微妙な居心地の悪さを感じることもあった。
「助監督にだけ連絡が回っていなくて、全体が他の動きをしていたなんてことは日常茶飯事です」
竹内は苦笑しながらそう言う。べつに意地悪をされたわけではない。
部員たちは、基本的に部内の連絡ツールとしてLINEを活用している。学生側からの発信の場合、監督にはマネージャーから連絡が行く。だが、助監督への連絡は、監督からなのか、学生からなのか、明確な連絡網が存在しなかった。
そのため、チームのスケジュール変更や集合時間を、竹内だけが知らなかったことがよくあった。チームに来客がある時も、本来それは監督とマネージャーがわかっていればいいことで、一般の部員たちまでは細かく伝達されていないのが普通なのだが、竹内も同じようにそれを知らず、グラウンドに来てから気付いて、慌てて挨拶に行くこともあった。
では、選手たちは、助監督という立場をどんなふうに理解し、竹内をどんな思いで見ていたのか。
昨年のチームで主将を務めた福井章吾は、「監督がいろんな場所で何か話されたりする時、竹内さんは必ずそれをノートに取っておられました。空き時間に、いろんな本を読んでいる姿もよく見ました。僕ら選手からの質問に対して、きちんと答えられるようにしたかったんだと思います」と振り返る。
そして「僕のなかでは、助監督というよりバッテリーコーチのような存在でした」と言う。
ちょうど交代の時期とかぶったため、福井は4年間で、大久保監督と堀井監督、林助監督と竹内助監督、それぞれの指導を受けている。監督2人はともに野手出身(大久保は捕手)。それも、林、竹内と投手出身の2人が助監督に招聘された理由と言われている。実際に大久保は、「俺は野手出身なので、野手は教えられるけど、ピッチャーは難しいな」と竹内に漏らしたこともあった。
3年生の増居翔太(彦根東卒)は、竹内の就任とともに入学してきた。早くから公式戦で起用され、同じ左投手ということもあって、「現役部員のなかで、竹内さんといちばん話をしているのは僕なのでは」と口にする。
増居は助監督としての竹内の仕事ぶりをこんなふうに見ていた。
「たしかに投手の感覚というのは、野手の人にはわかりにくいところがあると思います。竹内さんは、(野手出身の)監督が言った言葉を、僕らピッチャーにわかる言語に変換して伝えてくれるのが役割だった気がします。
逆もまた然りで、僕らが監督に対して意見がある時にも、上手く変換してから上げてくれていたはずです。現役をあがってからそんなに時間も経っておらず、感覚的にも現役に近かったので、僕らの言うことも理解しやすかったのではないでしょうか」