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侍ジャパン

WBCで「真の国民的英雄」となったイチロー。大谷翔平も同じ道をたどり、日本野球の「G.O.A.T」となるか<SLUGGER>

出野哲也

2023.03.07

 思えばイチローも、96年にオリックスで日本一になった後は長い間優勝できずにいた。マリナーズでも、2年目以降はプレーオフから遠ざかり、06年のWBCは彼にとって10年ぶりに頂点に立つ喜びを味わう機会だったのだ。久しぶりの栄冠であったことに加えて、ブルーウェーブやマリナーズといった限られた範囲のファンではなく、日本国民全員の声援を受けて勝ち得たことで、まったく違う種類の興奮と満足感を得られたのではないか。

 大谷が最初に代表チームのユニフォームを着て戦ったのは、15年の第1回プレミア12。この時は韓国戦に2試合投げ、13イニングで被安打3本のみ、21三振を奪う圧倒的な投球を演じた。ただし打席に立つことはなく、二刀流としてのパフォーマンスではなかったし、チームも準決勝で敗退した。

 また、プレミア12はWBCや五輪に比べるとステータスや注目度がはるかに低い。16年のリオ五輪では野球は実施されず、今回のWBCは大谷にとって8年ぶりの本格的な国際試合であるだけでなく、二刀流としては初の大会でもあるわけだ。
 
 今や、大谷の名前を知らない日本人はほとんどいないだろうが、全国民がいつも大谷の試合を見ているわけではない。けれども、WBCのような大きな国際大会は、普段は野球に関心のない一般層の興味も引きつける。そうした人たちにとって、イチローの最も印象的なシーンは09年のWBC決勝戦で放った勝ち越しタイムリーなのだろう。

 同じように、今回のWBCで大谷が日本に優勝をもたらすような決定的な活躍を見せたなら、そのシーンは日本国民の「共通の記憶」として長く刻まれることになるはずだ。そして、大谷翔平は晴れて日本野球の「G.O.A.T」、すなわち「史上最も偉大な存在」(Greatest Of All Time)の一人となることだろう。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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