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MLB

メジャー382本塁打が日本ではまさかの0本...“ダメ外人”と呼ばれたフランク・ハワードは心優しき巨人だった<SLUGGER>

出野哲也

2023.11.03

 しかし、35歳になっていたこの頃には衰えが隠せなくなっていて、翌73年限りでメジャーから退く。そこへ声をかけたのが太平洋クラブだった。当時の事情を、球団代表だった坂井保之は「何回も半月板を故障して、もうダメなのはわかっていた。それでも、話題が欲しかったんだ」と、当初から客寄せ目当てだったと明かしている
(※)。

 打撃練習では評判通りの豪打を連発し、チームも「ハワードは何本ホームランを打つか」というクイズを出して話題を煽った。だが、開幕2日前に足首を負傷してしまう。パ・リーグ広報部長だった伊東一雄は、以下のように回想している。

「朝10時から夕方4時まで練習させられてフラフラになったところで、当時の平和台球場のガタガタだった外野のくぼみに足をつっこんでひっくり返った」「宿舎の部屋を訪れるとダイエットの本が積んであって『オレはこれを読んでダイエットして日本で頑張ろうと思っていたのに......』って、あの大男がオイオイ泣くんですよ。怪我さえしなかったら各球場の最長距離ホームランを全部書き換えたと思いますよ」
(『ベースボール・マガジン1992年夏季号』より)
 この証言からも、ハワードがいい加減な気持ちでライオンズに入ったのでないのは明らかだ。だが現実には、4月6日の開幕戦で3打席に立っただけ。クイズの正解は「0本」だった。5月に帰国した後は、前述の通り年俸支払いを巡って揉めたのでさらに印象を悪くしたが、坂井は「人柄は最高のナイスガイで、何の恨みもない」と言っている。帰国後はパドレスやメッツで監督を務めたものの「お人好しでは野球は勝てない」との格言通り、結果を残せなかった。

 2008年、ワシントンDCに新球場ナショナルズ・パークが開場した際、3体の銅像が建てられた。一つはセネタース一筋で通算417勝の大投手ウォルター・ジョンソン。一つはニグロリーグの強打者で、ワシントンの球団で活躍したジョシュ・ギブソン。そしてもう一つがハワードだった。長い間メジャーリーグ球団のなかった首都のファンにとって、彼は「最後のベースボール・ヒーロー」であり続けたのだ。19年にナショナルズは球団初の世界一になったが、本当の古巣であるレンジャーズの初栄冠を、ほんのわずかの時間差で見届けられなかったのが惜しまれる。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。

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