鈴木は、柴田と少年野球時代に地域の選抜チームで一緒になったことがあり、お互いをよく知っていた。中学時代の実績は鈴木のほうが上。「野球センスとかでとくに驚くようなことはなかった」と当時を振り返る。
ただ、自分にはない長所があると感じていた。それは、「リミッターを外せるところ」と表現する。一緒に練習していると、柴田は「なんでここまでやれるんだ?」ということが出来てしまう。「あいつ、良い意味でバカなんです」と鈴木は親しみを込めて笑う。
みんなで筋力トレーニングをしていた時、最初はマニュアル通り20キロの負荷でやっていたのだが、「お前は50キロでやれよ」と囃し立てられると、「よっしゃー」と言って本当にやってしまう。そういうノリの良さがチームメイトに愛され、試合になったら応援される。
柴田が投げられるようになった時には、そのボールを見て、「恐怖を感じた」と言う。ライバルの持つ潜在能力の高さに気付いた瞬間だった。
鈴木、柴田の二枚看板でさらなる上位進出が期待されていた日体荏原だが、部内の不祥事で躓き、翌春の大会を辞退(記録は不戦敗)。責任を取る形で、本橋は監督を退任する。
だが、一度狂った歯車はなかなか戻らず、夏は初戦で実践学園に延長15回引き分け再試合の末、1-2で初戦敗退。続く秋はブロック予選で東亜学園に敗れて都大会への出場も出来ず。翌春も都大会1回戦で都立千歳丘に2-3で惜敗した。
チーム再建を託され本橋が監督に復帰したのは、彼らが3年生になった時だった。当時を振り返り、「途中で現場を離れることになり、彼らにずっと申し訳ない気持ちでした。最後だけでも面倒を見ることが出来て、少しだけ責任を果たせたかなと思っています」と申し訳なさそうに言う。
本橋はこの翌年、再び監督を退任し、都立雪が谷を甲子園に導いたことがある相原健志(現・郁文館高校助監督)が新監督に就任する。そして、5年間指揮を執った相原の退任に伴い、今春から再復帰を果たしている。柴田が在籍した3年間は、チームの混乱期だった。それだけに、彼の明るさがチームメイトを助け、活気づけていた。
最後の夏の大会前、本橋は柴田と鈴木を呼び、大会での起用法を話し合った。このとき、柴田だけでなく鈴木も肘に不安を抱えていたため、継投は不可避だった。
本橋から「どっちが先に行く?」と聞かれ、柴田が先発、鈴木がリリーフで待機するという形が決まった。
大会が開幕すると、柴田が調子を上げ、初戦の都立紅葉川戦で完封(6回コールド)。続く3回戦は駿台学園を柴田-鈴木のリレーで完封し、冒頭のエース吉村を擁する日大豊山との4回戦に勝ち進んだのだった。ちなみにこの大会で、柴田のストレートの球速は、MAX142キロを記録している。
夏の大会後、ともに大学で野球を続けることを希望。まず鈴木は富士大(岩手県)への進学が決まる。かたや日体大を希望していた柴田は、日頃の勉強嫌いがここでアダとなった。
ただ、自分にはない長所があると感じていた。それは、「リミッターを外せるところ」と表現する。一緒に練習していると、柴田は「なんでここまでやれるんだ?」ということが出来てしまう。「あいつ、良い意味でバカなんです」と鈴木は親しみを込めて笑う。
みんなで筋力トレーニングをしていた時、最初はマニュアル通り20キロの負荷でやっていたのだが、「お前は50キロでやれよ」と囃し立てられると、「よっしゃー」と言って本当にやってしまう。そういうノリの良さがチームメイトに愛され、試合になったら応援される。
柴田が投げられるようになった時には、そのボールを見て、「恐怖を感じた」と言う。ライバルの持つ潜在能力の高さに気付いた瞬間だった。
鈴木、柴田の二枚看板でさらなる上位進出が期待されていた日体荏原だが、部内の不祥事で躓き、翌春の大会を辞退(記録は不戦敗)。責任を取る形で、本橋は監督を退任する。
だが、一度狂った歯車はなかなか戻らず、夏は初戦で実践学園に延長15回引き分け再試合の末、1-2で初戦敗退。続く秋はブロック予選で東亜学園に敗れて都大会への出場も出来ず。翌春も都大会1回戦で都立千歳丘に2-3で惜敗した。
チーム再建を託され本橋が監督に復帰したのは、彼らが3年生になった時だった。当時を振り返り、「途中で現場を離れることになり、彼らにずっと申し訳ない気持ちでした。最後だけでも面倒を見ることが出来て、少しだけ責任を果たせたかなと思っています」と申し訳なさそうに言う。
本橋はこの翌年、再び監督を退任し、都立雪が谷を甲子園に導いたことがある相原健志(現・郁文館高校助監督)が新監督に就任する。そして、5年間指揮を執った相原の退任に伴い、今春から再復帰を果たしている。柴田が在籍した3年間は、チームの混乱期だった。それだけに、彼の明るさがチームメイトを助け、活気づけていた。
最後の夏の大会前、本橋は柴田と鈴木を呼び、大会での起用法を話し合った。このとき、柴田だけでなく鈴木も肘に不安を抱えていたため、継投は不可避だった。
本橋から「どっちが先に行く?」と聞かれ、柴田が先発、鈴木がリリーフで待機するという形が決まった。
大会が開幕すると、柴田が調子を上げ、初戦の都立紅葉川戦で完封(6回コールド)。続く3回戦は駿台学園を柴田-鈴木のリレーで完封し、冒頭のエース吉村を擁する日大豊山との4回戦に勝ち進んだのだった。ちなみにこの大会で、柴田のストレートの球速は、MAX142キロを記録している。
夏の大会後、ともに大学で野球を続けることを希望。まず鈴木は富士大(岩手県)への進学が決まる。かたや日体大を希望していた柴田は、日頃の勉強嫌いがここでアダとなった。
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