昨季限りでカブスの編成トップを退き、現在はMLBのコンサルタントを務めるエプスティーンは今年7月、球界が今後目指すべき方向性について次のように語った。「ゲームを選手たちの手に取り戻す。そうすれば、選手がアクションの中心になる。彼らが本能に従って決断を下し、フィールドで起きるすべてに影響力を持つ。データ分析は素晴らしいけど、ファイヤーウォールを作ってフィールドに入り込み過ぎないようにするんだ」。
「選手が主役であるべき」というエプスティーンの考えは、シャーザーの言葉とも一致する。ただ、方向性は正しいとしても、そのための具体的な方策となると難しい。極端なシフトの禁止はすでにマイナーで導入されているが、それ以外について、果たしてルールで規制できるのか。1試合で起用できる投手の数を制限する案もあるが、それが「古き良き先発投手の復活」につながる保証はない。
そもそも、オープナーや守備シフトも、貧乏球団レイズが自分たちの何倍もの総年俸を誇る強豪チームを倒すために生み出した「弱者の戦略」だ。常識や固定観念に囚われず、あらゆる角度から勝利の可能性を探ること自体は決して間違っていない。データ分析から生み出された新たな知見は、野球というゲームを違った角度から見つめなおす機会を与えてくれる。それと、選手が伸び伸びと躍動できる環境を整えることとのバランスをどう取っていけばいいのか。
そんなことを考えながらずっとポストシーズンを見てきた中、ワールドシリーズ第6戦でマックス・フリード(ブレーブス)が見せた投球は印象的だった。初回に一塁での交錯プレーで相手打者走者に右足首を踏みつけられたフリードだが、その影響を微塵も感じさせない力投を披露した。
何より印象的だったのは、27歳の左腕がマウンド上で発散していた静かな気迫だった。クールな表情はいつもと同じでも、投げるボールに熱い思いが込められていたことは、テレビ画面越しにも十分伝わってきた。2回、98.4マイル(約158.4キロ)の内角4シームでユリ・グリエルを見逃し三振に仕留めた一球は、これまでのポストシーズンで幾多の名投手が見せてきた熱投を彷彿とさせるものだった。
今後のMLBがどこへ向かうのかはまだ誰にも分からない。ただ、エプスティーンが言うように、やはりフィールドの主役は選手であってほしいと思わずにいられない。そして、ポストシーズンの舞台で偉大なエースが再び君臨する姿を見たい。
文●久保田市郎(SLUGGER編集長)
「選手が主役であるべき」というエプスティーンの考えは、シャーザーの言葉とも一致する。ただ、方向性は正しいとしても、そのための具体的な方策となると難しい。極端なシフトの禁止はすでにマイナーで導入されているが、それ以外について、果たしてルールで規制できるのか。1試合で起用できる投手の数を制限する案もあるが、それが「古き良き先発投手の復活」につながる保証はない。
そもそも、オープナーや守備シフトも、貧乏球団レイズが自分たちの何倍もの総年俸を誇る強豪チームを倒すために生み出した「弱者の戦略」だ。常識や固定観念に囚われず、あらゆる角度から勝利の可能性を探ること自体は決して間違っていない。データ分析から生み出された新たな知見は、野球というゲームを違った角度から見つめなおす機会を与えてくれる。それと、選手が伸び伸びと躍動できる環境を整えることとのバランスをどう取っていけばいいのか。
そんなことを考えながらずっとポストシーズンを見てきた中、ワールドシリーズ第6戦でマックス・フリード(ブレーブス)が見せた投球は印象的だった。初回に一塁での交錯プレーで相手打者走者に右足首を踏みつけられたフリードだが、その影響を微塵も感じさせない力投を披露した。
何より印象的だったのは、27歳の左腕がマウンド上で発散していた静かな気迫だった。クールな表情はいつもと同じでも、投げるボールに熱い思いが込められていたことは、テレビ画面越しにも十分伝わってきた。2回、98.4マイル(約158.4キロ)の内角4シームでユリ・グリエルを見逃し三振に仕留めた一球は、これまでのポストシーズンで幾多の名投手が見せてきた熱投を彷彿とさせるものだった。
今後のMLBがどこへ向かうのかはまだ誰にも分からない。ただ、エプスティーンが言うように、やはりフィールドの主役は選手であってほしいと思わずにいられない。そして、ポストシーズンの舞台で偉大なエースが再び君臨する姿を見たい。
文●久保田市郎(SLUGGER編集長)