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プロ野球

最初の成功例は“マサカリ兆治”。そしてマウンドに感謝を捧げた桑田――トミー・ジョン手術で再起した不屈の名投手5選<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2022.06.17

▼館山昌平(2004年、13年、14年手術/元ヤクルト)

 館山の満身創痍ぶりは、ヤクルトファンならずとも有名だろう。とにかく肩やヒジの故障が多く、プロ17年のキャリアで9度もメスを入れた。そのなかには、史上最多3度のトミー・ジョン手術も含まれている。

 1回目はプロ2年目の04年。春季キャンプ中に右ヒジの靭帯を断裂し、右手首から腱を移植した。結局この年は全休するも、翌年は4月から一軍に復帰。プロ初勝利を含む10勝を挙げてローテーションに定着すると、08年は最高勝率、09年は最多勝のタイトルを獲得し、右のエースとしての地位を築いていく。

 ここまでだけでも、トミー・ジョン手術の成功例としては十分だ。だが、ある意味で館山の“真骨頂”はここから。13年4月に再び右ヒジの靭帯を断裂し、今度は右足から腱を移植して2度目の手術に踏み切る。さらに翌年4月、別の手術の際にまたも右ヒジの靭帯に損傷が見つかり、3度目の手術が必要となった。この時は左手首から腱を移植。結局13~14年はほぼ棒に振っている。

 度重なる手術で往年の投球の面影はすでになかったが、それでも15年は11先発して6勝。カムバック賞も受賞した。その後も不屈の意志で現役を続けたものの、16年以降は1勝しかできないまま19年限りで引退した。現役時代の手術跡は実に175針にもおよび、引退の際には「あと25針で名球会入りできるんじゃないか」というジョークでファンを笑わせたが、これはむしろ館山の不屈のキャリアを表す名言と呼ぶべきだろう。
 
▼大貫晋一(2013年手術/DeNA)

 ここまではすべて、プロ入り後にトミー・ジョン手術を受けた例を紹介してきた。だが、アマチュア時代に手術を受けた後、プロ入りした選手ももちろんいる。あまり知られていないが、現在ベイスターズの主戦投手として活躍する大貫も、大学時代にヒジにメスを入れた一人だ。

 神奈川県出身の大貫だが、高校は地元を離れて静岡県の桐陽高に進学。2年の時に一度右ヒジを痛めたが、この時は大事に至らず、3年時には同校を18年ぶりの県大会ベスト8へと導いている(甲子園出場経験はない)。

 高校卒業後は日体大に進み、13年の春季リーグは2年生にして主力投手として活躍。優勝に貢献し、ベストナインにも輝いた。だが、その直後に運命は暗転。右ヒジの靭帯断裂が発覚し、トミー・ジョン手術を受けなければならなくなった。その後2年間をほぼ棒に振ったことで、大貫は当時、「プロなんて縁がないと思っていた」という。

 だが、大学卒業後に入社した新日鉄住金鹿島で活躍を続けた大貫は、18年にドラフト3位でプロ入りを勝ち取った。DeNAでは1年目からローテーション入りし、2年目の20年には早くも2ケタ勝利。今季も開幕から安定感のある投球でチームを支えている。プロでのキャリアは終わっていないが、大貫もまたトミー・ジョン手術の成功例に数えていいだろう。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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