「その後から、若い選手も中堅もベテランもかけてくる言葉が変わりました。『今までの他の日本人はみんな腕を組んで見ていただけだった。でも、お前はそこにどんどん入っていって俺たち家族を守ろうとしてくれた』と。俺がやられて守ってもらってんだから、それが当たり前じゃんと僕は言いましたね。
ただ、僕たち内野手の苦労ってそこなんですよ。ピッチャーに仕事があるように内野手にも仕事がある。一番近くにいるわけだから僕らが守る。チームメイトは家族というのをよく言われますけど、日本にいた時より、その想いは強くなりましたね。(乱闘は)勉強しなくていいことかもしれないけど、これもアメリカに行って学んだことかもしれないです」
アメリカで体験しなければ分からないことがある。岩村はこうして、マッドンやレイズの仲間たちからリーダーとしてのあり方、チームメイトとしてのあり方を学んだ。 現在、ヤクルトの高津臣吾監督やロッテの井口資仁監督がメジャーでの経験を生かしている。岩村にも、いつか監督として采配を振るう日が来るだろうか。
そのことを岩村に問うと、冷静な語り口で将来像を語った。
「プロ野球界なのか、アマチュア球界であるか別にして、経験は伝えていきたいなと思っています。一人の伝道師として。高津さんにしても井口さんにしても、それぞれメジャーの経験がありますけど、同じではないはずですから。それぞれ違う経験をしているので、その経験を伝えていくことが僕は一番大事だと思っていますね。新たな文化を受け入れないと新しいものは生まれてこないと思うので、経験を伝えていければいいと思います」
岩村の指揮する福島レッドホープスは、独立リーグの中では最も厳しい練習を行なうチームである。選手との密なコミュニケーションを通じて「チームは家族」という意識を植え付けつつ、ヤクルト時代に中西太から伝授された「何苦楚」精神も忘れない。いかにも岩村らしいチーム作りである。
取材・文●氏原英明
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園は通過点です』(新潮社)、『baseballアスリートたちの限界突破』(青志社)がある。ライターの傍ら、音声アプリ「Voicy」のパーソナリティーを務め、YouTubeチャンネルも開設している。
ただ、僕たち内野手の苦労ってそこなんですよ。ピッチャーに仕事があるように内野手にも仕事がある。一番近くにいるわけだから僕らが守る。チームメイトは家族というのをよく言われますけど、日本にいた時より、その想いは強くなりましたね。(乱闘は)勉強しなくていいことかもしれないけど、これもアメリカに行って学んだことかもしれないです」
アメリカで体験しなければ分からないことがある。岩村はこうして、マッドンやレイズの仲間たちからリーダーとしてのあり方、チームメイトとしてのあり方を学んだ。 現在、ヤクルトの高津臣吾監督やロッテの井口資仁監督がメジャーでの経験を生かしている。岩村にも、いつか監督として采配を振るう日が来るだろうか。
そのことを岩村に問うと、冷静な語り口で将来像を語った。
「プロ野球界なのか、アマチュア球界であるか別にして、経験は伝えていきたいなと思っています。一人の伝道師として。高津さんにしても井口さんにしても、それぞれメジャーの経験がありますけど、同じではないはずですから。それぞれ違う経験をしているので、その経験を伝えていくことが僕は一番大事だと思っていますね。新たな文化を受け入れないと新しいものは生まれてこないと思うので、経験を伝えていければいいと思います」
岩村の指揮する福島レッドホープスは、独立リーグの中では最も厳しい練習を行なうチームである。選手との密なコミュニケーションを通じて「チームは家族」という意識を植え付けつつ、ヤクルト時代に中西太から伝授された「何苦楚」精神も忘れない。いかにも岩村らしいチーム作りである。
取材・文●氏原英明
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園は通過点です』(新潮社)、『baseballアスリートたちの限界突破』(青志社)がある。ライターの傍ら、音声アプリ「Voicy」のパーソナリティーを務め、YouTubeチャンネルも開設している。